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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2143/2187

第96章 ―前篇 森の密議



 1944年7月20日、午前十時。

 ヴォルフスシャンツェの森は、いつになく静かだった。

 霧が薄れ、湿った空気の中に陽光が差し込む。

 その光はまるで、何かを見逃してはならないと告げるようだった。


 アドリアンは司令棟の外壁に立ち、遠くからヒトラーの執務区画を見つめていた。

 AI〈YAMATO-9〉が低く囁く。

 《位相変調。空間の圧、通常より13%低下。異常な静寂。》


 その静けさの中心に、一人の男が現れた。

 左腕の袖が空虚に垂れ下がっている。

 クラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐。

 砂漠戦線で片腕と片目を失いながらも、なお毅然と立つ将校。

 義眼の奥に宿る光は、怒りとも悲哀ともつかない透明な色をしていた。


 「総統会議は予定通りか?」

 彼の声は抑えた低音で響く。

 副官が答える。「はい、十一時三十分から。場所は木造の仮設バラックです。」

 「……地下壕ではないのか?」

 「この暑さでは中は蒸し風呂です。総統が外を望まれました。」


 その一言で、運命の針が音もなく動いた。


 アドリアンはその会話を遠くから聞きながら、

 AIのデータが微かに乱れるのを感じた。

 《変数更新:爆風減衰率、45%低下予測。》

 まだ何も起きていないのに、すでに“歴史”は組み替わっていた。


 午前十一時五十五分、バラック会議室。

 湿った木の香り。

 地図が張られた壁。

 狭い空間に二十名近い参謀たちが詰め込まれている。

 窓は開け放たれ、陽光が斜めに差し込んでいた。


 シュタウフェンベルクは静かに席につくと、

 傍らの鞄を机の脚元にそっと置いた。

 中には、時限信管付きの爆薬。

 手袋をした義手の指先が、わずかに震えていた。


 「閣下はすぐにお見えになる。」

 参謀の一人が告げる。

 空気が一瞬、張り詰める。

 木造の床板が軋む音すら、鼓動のように響いた。


 ヒトラーが入室した。

 灰色の軍服、無表情の顔、整然とした歩み。

 彼の視線が室内を横切るたびに、参謀たちの背筋が硬直する。


 アドリアンの視界が微かに滲む。

 AIが囁く。

 《ここから先は“意図”と“偶然”の境界です。観測を続行しますか?》

 「……もちろんだ。」アドリアンは答えた。

 「だが、もし神がいるなら、今は沈黙している。」


 会議が始まった。

 ヒトラーの声は落ち着いていた。

 「連合軍の上陸は一時的な現象だ。

  我々が東部を押さえる限り、ドイツの心臓は生きている。」

 その言葉が終わる頃、シュタウフェンベルクの義手が再び動いた。

 彼は小さく立ち上がり、

 「閣下、少々失礼を。電話が本部から――」と告げる。

 彼の手は、鞄の取っ手を一度だけ握り、放した。


 ――その瞬間、別の将校が動いた。

 「この位置では通れませんね、失礼。」

 そう言って、鞄を机の反対側へ押しやった。

 その机の脚が、爆風を遮る唯一の盾になるとは、

 その時、誰も知らなかった。


 AIが静かに記録する。

 《因果の偏差、確定。

  “生存”の変数、閾値を超過。》


 森の外では、雷鳴が一度だけ鳴った。

 誰も気づかなかった。

 だがその音は、

 これから起こる爆音の予兆として、森の湿気の中に確かに残っていた

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