第9章 大和 呉へ再帰還
「—進路安定、速力五ノット」
砲術補佐・江上大尉が報告する。
その声に、有馬は短くうなずいた。
通信士官が続ける。
「護衛艦『まや』より、最終入港ルートの更新情報あり。呉海軍工廠旧第2ドック沿いの浮桟橋へ。港内船団はすべて避航済みとのことです」
艦橋内に緊張が走る。
「呉工廠」——今はもう存在しないはずの地名。だが、誰も訂正しなかった。
船体が微かに右へ傾いた。
その傾斜の感覚が、有馬の胸に去来する。
「あのときも……進路を右へ取ったな。
昭和16年、完成したばかりのこの艦で、初めて呉に戻った日。
そして今……令和7年——もう一度、この艦は“還る”のか……」
クレーンの残骸と、補給桟橋のコンクリートの継ぎ目。
再開発地区に建ち並ぶ建材倉庫の間から、鉄の巨影が浮かび上がる。
報道ヘリが上空を飛んでいたが、その音は遠かった。
—
入港作業が始まった。
タグボートが左舷後部に接舷し、牽引ロープが引かれる。
「主機停止、舵中央——停船動作に入ります」
江上は、有馬の横で囁いた。
「艦長……今、護衛艦の乗員たちが、敬礼しているのが見えます」
有馬は、ただ頷いた。
艦の動きが完全に止まり、ロープが係留柱に巻きつけられたとき、
戦艦大和は、80年の海路を経て、ふたたび呉に帰港した。