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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2137/2189

第90章 国家の演出者



 1933年1月30日、ベルリン。

 雪がまだ残る冬の空気の中、群衆は凍りついた街路を埋め尽くしていた。

 夜空を照らす松明の列。

 掲げられた旗の赤と黒が炎に揺れ、風が唸るように吹いていた。


 その中心に、黒い自動車が静かに進んでいく。

 後部座席の男――アドリアンの意識は、もう完全にヒトラーと重なっていた。

 窓の外には、熱に浮かされたような人の海。

 無数の腕が、同じ角度で上がっている。

 “ハイル・ヒトラー!”

 その声が、雷鳴のように街を揺らした。


 AI〈YAMATO-9〉が記録する。

 《Phase-08開始。対象、国家的演出空間の中心に位置。》

 《観測:感情同調波、都市規模で共鳴。群衆心理の可視化。》


 ヒトラー――いや、アドリアンはその音の中に立っていた。

 まるで自分が“音楽”の一部になったように感じた。

 それは言葉の支配ではない。

 視覚と聴覚の支配。

 旗、光、音――それらが完璧な構成で人々を包み込む。

 彼は知っていた。

 ここにこそ、芸術と政治が融合する“国家の舞台”がある。


 夜、総統官邸のバルコニー。

 目の前の広場に数十万人の人々が集まり、

 トーチの炎が波のように揺れていた。

 音楽が鳴る――ワーグナー。

 低く、重い旋律が地を震わせ、空を染める。

 ヒトラーはゆっくりと手を挙げた。

 その動作一つで、十万の喉が同時に叫んだ。


 アドリアンの胸に、熱が走った。

 “この一糸乱れぬ反応――これこそ秩序の美だ。”

 塹壕で見た死の秩序とは違う。

 今や、生者が同じリズムで動く。

 人間が一つの身体となり、国家が呼吸している。

 それは陶酔だった。


 AIが静かに告げる。

 《ここで芸術が国家に吸収される。

  個の表現は消え、表現そのものが支配の形式となる。》

 アドリアンはその言葉に抗おうとしたが、すぐに沈黙した。

 彼自身が、その演出の中に飲み込まれていたからだ。


 映像的政治――それは新しい時代の神話だった。

 巨大なスタジアム、整列した兵士、

 夜空を貫くサーチライトの柱。

 その光は都市を包み込み、まるで天を支配する神殿のようだった。

 AIが呟く。

 《光はここで“倫理”ではなく、“秩序”の象徴となる。

  彼は神を演出している。》


 アドリアンの目には、群衆が光に溶けて見えた。

 顔が消え、声が一つの振動となり、国家そのものが巨大な呼吸の塊になる。

 “これが支配の完成形なのか――”

 彼は胸の奥でそう呟いた。

 そして、理解した。

 美とは、人を魅了する構造であり、

 その構造を掌握する者こそが“演出者”なのだ。


 ヒトラーはバルコニーから身を乗り出し、両手を掲げた。

 雷鳴のような歓声。

 その瞬間、アドリアンの体を電流のような快楽が走った。

 “これが世界を支配する音だ。これが光だ。”


 AI〈YAMATO-9〉が低く分析する。

 《観測:陶酔状態。倫理機能沈静化。

  対象、秩序=美=支配の三位一体構造を確立。》


 夜が深まる。

 広場の炎は次第に消え、残り火が風に流される。

 アドリアンの心には、静かな恐怖が残った。

 あの光はあまりに美しく、あまりに完全だ。

 だからこそ、誰も抗えない。


 「美とは、自由を奪う最も優しい形だ。」

 AIの声がかすかに響いた。

 アドリアンは呟いた。

 「そして私は、その舞台の中央に立っている。」


 下方の群衆はまだ動かない。

 炎の光が顔を照らし、無数の瞳が一つの方向を見ている。

 その視線が、アドリアンを貫いた。

 ――これは崇拝ではない。服従でもない。

 もっと深い、“美への従属”だった。


 AIが最後に記録する。

 《Phase-08完了。対象、芸術的秩序を支配形態として定義。

  次段階:破壊の美学フェーズへの移行準備。》


 夜空を貫くサーチライトの光が交差し、

 巨大な白い天蓋を形づくる。

 その下で、人々は静かに跪いた。

 そして、ヒトラーは光の中心で微笑んだ。


 ――芸術は完成した。

 それが、国家という名の舞台装置の上で

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