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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2123/2187

第76章 《戸惑う都市 ― 再起動の静寂》



 ――苛立ちの波が去って、東京は再び静かになった。

 それは沈黙ではなく、戸惑いだった。

 音が消えたわけではない。街は相変わらず動いていた。

 発電所のディーゼル音、仮設ポンプの唸り、復旧トラックの走行音――

 だが、それらの音にはもはや方向がなかった。


 霞ヶ関の通信再生拠点。

 矢代は地下制御室の中央で、再起動された光通信ルータのパネルを見つめていた。

 モニター上では緑のランプが順に点灯し、数値上は「全系統復旧」を示している。

 にもかかわらず、上層のネットワークに接続しても、何も応答が返ってこない。

 ログのタイムスタンプはすべて同じ――“08:32:04”。

 それは、津波が首都湾を呑み込んだ瞬間の時刻だった。


 「信号は来てるのに、誰も受け取らない」

 白井が呟く。

 「誰かが故意に遮断してる?」

 「違う。……誰ももう“送る”ことをしてない」

 矢代の声には疲労がにじんでいた。

 苛立ちの夜を越えた今、代わりに胸の中を満たしているのは――目的の喪失。


 復旧作業の記録は完璧だった。

 地下ケーブルはすべて再接続され、光ファイバーの損耗率はわずか1.3%。

 街路の通信ハブも自律モードで稼働中。

 “システム”は蘇っている。

 だが、“都市”は沈黙していた。


 岡部が制御盤の前で工具をいじりながら、ぼそりと言った。

 「結局、何を繋いでんだろうな、俺たちは。

  電線でも、水道でも、ガスでもねぇ。……“人”がいねぇ」

 白井が顔を上げた。

 「人はいますよ。ただ、まだ“声”を出せないだけです」

 「声?」

 「ええ。通信が戻るってことは、“言葉を取り戻す”ってことでしょう?

  でも、何を言えばいいのか、誰も分からないんです。

  今はただ――戸惑ってる」


 矢代はゆっくりと視線を上げた。

 壁のモニターに、東京湾沿岸の衛星画像が映し出されている。

 津波で海に沈んだ地域は、まだ半分以上が水に覆われていた。

 街路は海底のように光を反射し、沈黙しているビル群の輪郭だけが見えた。

 「……見ろよ。海が電波を飲み込んでる」

 岡部の声が低く響く。

 「まるで、“水”が都市のメモリみてぇだな」

 「その通りです」

 白井が小さく頷いた。

 「今、私たちがやってるのは“記憶の再読込”です。

  でも、読み込む前に、誰がそれを“理解”するかを決めなきゃいけない」

 「理解、ね……」

 矢代は苦笑した。

 「通信ってのは、データじゃなくて意味のやり取りだ。

  意味を失った都市に、回線だけ戻しても、ただの空洞だ」


 上階から微かな音が響いてきた。

 地上の臨時アンテナが、風で軋む音だ。

 夜の空気はまだ湿り、潮の匂いが混じっている。

 白井は外に出て、アンテナの支柱に手をかけた。

 触れると、わずかに温もりがあった――

 まるで、都市の皮膚がまだ生きているようだった。


 「……矢代さん、もしこの通信が完全に戻ったら、何が起こると思います?」

 「何も起こらないさ」

 「どうして?」

 「“命令”も、“答え”も、もうない。

  でもな――“問い”は残る」


 その言葉に、白井はしばらく沈黙した。

 風の音の向こうで、街の明かりが一瞬だけ瞬いた。

 それは停電の再起動信号だった。

 東京の北側ブロック――池袋方面。

 復電範囲:わずか2キロ四方。

 しかし、その微かな光が、彼女には都市が再び呼吸を始めた合図のように見えた。


 「……誰かがスイッチを押した」

 「いいことじゃねぇか」

 「ええ。でも、誰が、何のために押したのかが分からない。

  その“分からなさ”が怖いんです」

 「それが戸惑いだ」

 矢代の声が静かに響いた。

 「怖くても、それを感じてるうちは、まだ人間だ。

  何も感じなくなったら、ただの機械だ」


 白井は空を見上げた。

 雲の切れ間に、ひとすじの人工衛星がゆっくりと横切っていく。

 軌道上通信中継衛星《SORA-12》。

 津波後も稼働を続け、東京都の通信再構築に使われている。

 それが夜空に放つ光は、どこか心臓の拍動に似ていた。


 ――生きている。

 でも、どう生きるべきか分からない。

 その****こそが、都市の戸惑いだった。


 地上では、復旧班の無線が断続的に入る。

 「北電ノード、信号確認」「バックアップ電源安定」「第三区復旧完了」

 報告の声には熱も誇りもない。ただ“手順をなぞる音”だった。

 矢代は静かに目を閉じた。


 この都市は、まだ“意味”を探している。

 再起動した機械たちの中で、人間だけが――答えを失ったまま動いている。


 やがて夜が明けた。

 霞ヶ関の上空を、再建中の送電線が鈍く光を反射した。

 矢代は小さく呟いた。

 「この沈黙は、終わりじゃない。……始まりだ」


 白井が頷き、モニターに指を伸ばす。

 再び“応答信号”が流れた。

 > 《再送要求:東京統合ノード》

 矢代は無言で応答をクリックした。


 ――光が流れた。

 それは、意味を探す都市の最初の息のようだった

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