第75章 苛立ちの哲学と再点火
「ねぇ、渡辺さん」
手品サークルの部室で、小林さんがトランプをシャッフルしながら、渡辺さんに話しかけた。彼女の表情には、まだ少しの苛立ちが残っているが、その目は以前よりもずっと落ち着いている。
「この本には、苛立ちが哲学的にどう扱われるか、って書いてありますよね?それが気になって…。怒りとかって、なんか感情的で本能的な感じがしますけど、苛立ちって、もっと深いものなのかなって…」。
課長は、新しいマジックの練習で、宙に投げたトランプを次々とキャッチしながら、二人の会話に耳を傾けていた。「そうね、私もそう思うわ。なんか、漠然としてて、でも確実に私の心を揺さぶってくる感じがするのよね」。
渡辺さんは、本から顔を上げ、淡々と話し始めた。「この本によると、哲学や文学の視点では、『苛立ち』は単なる短気ではなく、『意識の過敏さ』の表現だとされています」。
「意識の過敏さ?」と、主任が首を傾げた。彼は佐藤くんと、コインを次々に消すマジックの練習をしていたが、その手を止めた。「どういうことですか?」。
「はい」と、渡辺さんは答えた。「実存主義哲学者のサルトルは、『苛立ち』を、**世界が自分の思考スピードに追いつかないときに生じる『存在的摩擦』**と捉えました。つまり、世界との不一致の感覚です」。
「ああ…」と、小林さんは納得したように頷いた。「たしかに、私の頭の中では、トランプが完璧に動くはずなのに、現実ではうまくいかない。そのギャップに、イライラしてたんだ…」。
伊藤さんが、静かに話を続けた。「仏教でも、『苛立ち』は**『瞋』という煩悩の予兆**とされています。執着から生じる怒りであり、まだその怒りが表面化していない段階が苛立ちだと。しかし、自分の苛立ちを意識できる人間は、すでに自己の内的状態を観察できている、とも言われます」。
「なるほど…。つまり、僕たちが苛立ちを感じるってことは、まだ悟りを開けてないってことか…」と、佐藤くんが呟いた。
「でも、その揺らぎがあるからこそ、私たちは次に進めるんだと思うわ」と、高橋さんが冷静に言った。「『苛立ち』は、まだ世界を諦めきれない心の震え。虚しさという静かな絶望とは違い、何かを変えようとするエネルギーの残り火を含んでいる、と本には書かれているわ」。
課長は、完璧にすべてのトランプをキャッチすると、満面の笑みで言った。「そうね!そうよ!虚しさが『もういいや』って諦めの感情なら、苛立ちは『まだだ!』って、もう一度立ち上がろうとする感情なのね!」。
「だから、苛立ちを感じるときは、チャンスだと思えばいいのよ!私たちの心が、『次のステージに行きたい!』って叫んでる証拠なんだから!」。
小林さんは、その言葉に力強く頷いた。彼女は再びトランプをシャッフルし、新しいマジックに挑戦し始めた。その手つきはまだ完璧ではないが、そこには、確かな意志が宿っていた。
渡辺さんは、そんな彼らの様子を静かに見つめながら、再び本に目を落とした。彼女の目には、人々の心の中にある複雑な感情が、まるで緻密なトリックのように、鮮やかに映っていたのかもしれない。