表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2119/2267

第72章 《苛立つ街――沈黙の中のノイズ》



 ――通信が戻って、三日が経った。

 霞ヶ関第1ノードの地下通信室では、冷却機の低い唸りと、モニターの電子音だけが響いていた。

 だが、その静寂は、もう“平穏”ではなかった。

 矢代は椅子に深く腰を下ろしながら、ふと自分の指先が小刻みに震えているのに気づいた。


 端末上では、信号が順調に流れている。

 復旧率98.6%。

 ネットワークは理論上、完全に機能している。

 ――それでも、街は動かない。

 市役所のデータベースは空白。

 ニュースサイトは更新が止まり、SNSのタイムラインは三ヶ月前で凍りついたままだ。

 まるで、世界全体が“電源を入れたまま”眠っているようだった。


 「……なあ、これ、本当に“生きてる”のか?」

 岡部が背もたれに体を預けて、天井を見上げた。

 「通信だけ動いて、人間が動かねぇ。まるで幽霊都市じゃねえか」

 「幽霊都市じゃない」

 矢代は即座に答えたが、その声はどこか硬い。

 「ただ……人の側の回線が、まだ繋がってないだけだ」


 その言葉に、誰も返事をしなかった。

 端末のファンが、息苦しげに回転していた。

 白井がそっとモニターを覗き込み、眉を寄せた。

 「データ流量、また偏ってます。北側のノードだけ、異常に負荷が高い」

 「復旧班が再起動を繰り返してるのか?」

 「いえ……違います。誰かが、手動でパケットを流してる」

 「誰か、って?」

 「分かりません。発信元が特定できないんです」


 矢代は立ち上がり、ラックに歩み寄った。

 「遮断はするな。様子を見よう」

 「でも、セキュリティ上危険です」

 「構わん。……ようやく“何かが動いた”んだ」


 その瞬間、ラックのLEDが一斉に点滅した。

 通信波形が一気に乱れ、白いノイズが走る。

 「なにこれ……!」

 白井の声。

 画面の中で、ログが滝のように流れた。

 符号化された文字列が無限に連なり、意味を持たない情報の洪水がネットワークを満たしていく。


 「誰かが――怒ってる」

 ぽつりと大友が呟いた。

 「怒ってる?」

 「ええ。……人の言葉じゃない。でも、“苛立ち”のパターンです」

 「そんなものが、データに出るのか」

 「出ますよ。通信って、感情の集積です。無数の人が、苛立ちながら再接続を試みてる。

  “なぜ繋がらない”“どうして届かない”――その繰り返しが、ノイズの波になってるんです」


 矢代はモニターに顔を寄せ、乱れた波形を見つめた。

 確かに、ノイズの中には規則性があった。

 まるで心拍のように、一定のリズムで上下している。

 都市の苛立ち――。

 それは、言葉にならない“生の衝動”のようだった。


 「通信ってのは、便利だと思ってたけどな」

 岡部がぼそりと呟いた。

 「便利すぎると、逆に腹が立つ。誰かが応えないってだけで、世界が止まる」

 「止まってるんじゃない」

 矢代は低く答えた。

 「まだ、“言葉を選んでる”んだ。みんな」

 「言葉を選ぶ?」

 「虚しさのあとに残るのは、怒りじゃない。……苛立ちだ。

  自分でも何に怒ってるのか分からない、あの“宙ぶらりん”な感情」


 白井が目を伏せた。

 「……それが、今の東京なんですね」

 「そうだ。回線は繋がった。でも、まだ誰も“何を伝えるべきか”分かっていない」


 地下の空気が重く沈む。

 冷却機の音がやけに高く聞こえた。

 矢代は息を吐き、ケーブルラックに背を預けた。

 この三ヶ月、ただ繋ぐことだけを目標にしてきた。

 それが叶った今――ようやく、何も成し遂げていないことに気づく。


 「……結局、俺たちの仕事ってなんだろうな」

 「繋げることですよ」

 白井が静かに答える。

 「たとえ苛立ちでも、感情が流れているうちは、生きてる証拠です」

 矢代はその言葉に苦笑した。

 「……そうか。苛立ちこそ、生命反応か」

 「そう思います。

  “何も感じない”のが終わりです。

  “苛立つ”のは、まだ生きてるからです」


 その瞬間、通信ログに新しい文字列が浮かんだ。

 > 《応答遅延……再送要求》

 「……これ、AIの自動通信ですか?」

 「いや、違う」

 矢代の声が少し震えた。

 「これは――人間の入力だ。手動信号だ」


 静まり返った通信室に、再びノイズが走る。

 波形は先ほどよりもはっきりと脈打ち、やがて一定のリズムを刻み始めた。

 > 《誰か、いますか》


 白井が画面に指を伸ばす。

 「……います」

 短く答える。その指先が震えていた。

 返信を送ると、数秒後に返ってきた信号。

 > 《遅い、遅い、でも……まだ、生きてる》


 その文字を見て、矢代は目を閉じた。

 胸の奥で、何かが微かに疼いた。

 苛立ち――。

 それは怒りではなく、虚しさから再び立ち上がるための初期振動。

 この都市が、再び“感情”を取り戻すための、最初のノイズだった。


 誰も言葉を発しなかった。

 ただ、通信ラックのファンが一層大きく回転し、

 その音が、まるで都市全体の呼吸のように、静かに響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ