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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2115/2347

第68章 「通信が戻ったあとに残る沈黙」



 午前3時。

 霞ヶ関第1ノード地下の通信室では、復旧完了を示す青いランプが一定のリズムで点滅していた。

 冷却ファンの音は、もううるさくもなかった。長く耳に馴染んだ“生き物の呼吸”のようなものになっていた。

 矢代はその光を見つめながら、静かにヘルメットを床に置いた。


 「……終わった、な」

 誰ともなく呟いた。

 だがその言葉は、終わりを告げる鐘ではなく、

 どこか遠くで誰かが立てた墓標のように、ただ空気を震わせただけだった。


 外部回線、全域復旧。

 官庁・病院・自衛隊・メディア――すべてのデータラインが再び流動を始めた。

 東京は、再び“繋がった”。

 だが、繋がることと、生き返ることは、同じではない。


 白井は机の上の端末を閉じ、手帳を開いた。

 あの日から書き続けてきた記録帳の最後のページ。

 そこに書くべき言葉が見つからず、ペンを握ったまま止まっていた。

 「……通信が戻ったのに、音がしない」

 「音?」と矢代が聞き返す。

 「はい。信号は流れてます。ログもきれいです。でも、

  ――“人の声”が、まだ帰ってきてない」


 その言葉に誰も返さなかった。

 野田はラックの陰でケーブルをまとめていた。

 手つきは丁寧だが、もう緊張感はなかった。

 大友は通信モニタの前に座ったまま、画面の奥を見つめている。

 光ファイバーを通して、東京中の信号が流れている。

 無数のパケット、点と点。

 だがそのどれも、かつての誰かの言葉を運ぶものではなかった。


 ――街は生き返りつつある。

 ――でも、言葉を失ったまま。


 矢代は目を閉じ、耳を澄ませた。

 遠くで発電機の音。風に混じる水の滴る音。

 どれも、かつての東京の“ざわめき”とは違っていた。

 この都市の記憶が、いま新しい回路の上に再構築されようとしている。

 だが、かつてそこにいた“誰か”の気配は戻ってこない。


 「通信が戻ると、虚しいな」

 野田の声だった。

 「電気がついて、信号が動いて……それだけで安心するはずだったのに」

 矢代は答えた。

 「“虚しい”のは、生きてるからだ。止まったら、もう虚しくもならない」

 「そういうもんですかね」

 「そういうもんだ。めんどくさい、の延長線上にある」

 野田はうなずいたが、どこか遠くを見ていた。

 「……この“虚しい”ってやつ、いちばん人間っぽいですね」


 白井が机の端に置かれた古い受話器を手に取った。

 通話テスト用の黒電話――唯一、戦前型の通信回線に繋がっているものだ。

 耳に当てる。何も聞こえない。

 「まだ、誰も出ないんですね」

 矢代がそっと頷く。

 「でも、回線は生きてる。……誰かが拾うかもしれない」


 C-Roomの天井には、非常灯の柔らかい光。

 その下で四人は、それぞれの机に腰を下ろした。

 仕事が終わったという実感はない。

 ただ、静寂が戻ったという事実だけが、現場に広がっていた。


 通信室の壁の時計が、午前4時を指した。

 大友が立ち上がり、冷却機の側の窓を開ける。

 外の空気は冷たく、海の匂いが混じっていた。

 「……潮の匂いですね」

 白井が言う。

「ええ。三ヶ月前の津波、まだ地下に残ってるんですよ」

 「塩って、時間が経っても消えないんですね」

 「むしろ、乾くほど濃くなる」

 矢代はその会話を聞きながら、再びモニターを見た。

 緑の線がゆっくりと増えていく。

 都市の“血管”は確かに繋がっていった。

 けれども、そこに流れるのはまだ“無音の血液”だった。


 「……東京は、また喋るようになりますかね」

 白井の問いに、矢代は少し考えてから答えた。

 「喋るさ。だが声は変わる。昔と同じには戻らない」

 「でも、それでもいいんですよね」

 「いいさ。声が出るうちは、まだ生きてる」


 通信ラックの青いLEDが一斉に点滅した。

 再起動ではない。データの同期――そして、最初の人間の送信信号。

 白井が顔を上げる。

 「チャットデータ、流れてます!」

 モニターに小さな文字列が浮かんだ。

 > 《聞こえますか》


 その瞬間、全員が息をのんだ。

 矢代が画面に指を伸ばし、声を絞り出した。

 「……聞こえる」


 言葉が回線を渡り、都市のどこかへ消えていく。

 それは救いでも、劇的な再会でもない。

 ただ――虚しさの底で、なおも誰かに届こうとする声だった。


 その声を聞きながら、矢代は思った。

 虚しいという感情は、終わりではなく“始まり”だ。

 意味を失った世界で、なお意味を探そうとする心の動き。

 それが、復興という名の長い祈りの第一歩なのだ、と。


 通信ラックのファンが再び低く唸り始める。

 誰も言葉を発しない。

 ただその音の中に、確かに“生命の残響”があった。

 都市が息を吹き返す音――

 それは、虚しさの中から生まれた最初の呼吸だった。

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