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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2110/2187

第63章 「沈黙の現場」



 地上はまだ泥の匂いを吐いていた。霞ヶ関の中央官庁群、その地下二十メートル。通信復旧班の中枢ノード、通称「C-Room」は、配電盤の低い唸りとサーバ冷却ファンの風切り音だけが支配していた。

 野田技監は作業台に肘をつき、指先で端末のスクロールバーを押し続けていた。スクリーンには、再構築された光ファイバ幹線のトポロジー図。ところどころが赤、いくつかが橙。

 復旧率、六二%。通電確認済み、四八%。

 「これでも、やっとここまで来たんだよな……」

 呟きは誰にも届かない。現場には、ノイズのような沈黙しかない。


 向かいのラックに身をかがめていた大友遥人が、コンソールに指を走らせながら言った。

 「北丸ノ内側、リンクレイヤでパケットロス二%。干渉はない。多分、地下水残留です」

 「排水ポンプ、もう一度回せ」

 「電力班が優先割当を外してる。再起動には二十分かかる」

 「二十分で街が死ぬわけじゃないが、二十分で一人が死ぬこともある」

 大友は軽く息を吐いた。

 「……めんどくさいですね、因果律ってやつは」

 「めんどくさい? そう言えるうちはマシだ」

 野田は腰を上げ、ラックの後ろへ回った。

 「言葉が出る間は、まだ脳が動いてる。黙り始めたら、終わりだ」


 C-Roomの天井から、細い水滴が一つ落ちた。光ファイバーの束に触れ、虹のように反射して散る。

 大友はモニターを見たまま、小さく呟いた。

 「昨日、第二環状のサブルートが落ちたの、知ってますか?」

 「知ってる。電力系統の切り替えミスだろ」

 「はい。……でも、記録上は“自然断”で処理されてました」

 「つまり、誰かが隠した」

 「あるいは、“誰もいなかった”」

 「どっちにしても、現実は変わらん」

 野田はスパナでケーブルクランプを締め直した。音は乾いていた。

 「この地下は、誰が設計したんだ?」

 「建設局の前任担当。震災以前の計画書では、五十年耐用の予定でした」

 「五十年? 三ヶ月で海水に呑まれたぞ」

 「設計者はもういません」

 「だろうな」


 二人のあいだに、機械音だけが流れた。

 復旧作業三ヶ月。東京の半分が海に沈んだあの日から、ここだけが「通信を再び繋ぐ」現場になっている。

 だが、誰もそれを「希望」とは呼ばなかった。


 野田は工具を置き、ゆっくりと背筋を伸ばした。

 「大友、お前さ」

 「なんです」

 「本当に、全部繋げると思ってるか?」

 数秒、応答はなかった。

 「思ってないです。でも、途中でやめた記録を残すのも嫌なんです」

 「……若いな」

 「歳のせいですよ。年寄りは、終わりの形を気にする。若いのは、始まりの形を気にする」

 野田は少し笑った。

 「上手いこと言うじゃねぇか」

 「引用です。“めんどくさい哲学者”の」

 「そいつも今いねぇんだろ」

 「ええ。データベースには、名前だけ残ってます」


 ラックのランプがひとつ、緑に変わった。

 「復旧ライン、港区側に通電」

 「どれくらい持つ?」

 「二時間。冷却が追いつけば、もう少し」

 「二時間か。人間なら、仮眠も取れねぇな」

 野田は腕時計を見た。秒針が正確に進むのを確認して、静かに言った。

 「俺たちは今、死んだ都市に呼吸を戻してる。呼吸はめんどくさいけど、止めたら終わりだ」

 「……はい」


 モニターの片隅に、「LINK RESTORED」の文字が浮かんだ。

 その一行を見つめたまま、大友は椅子の背にもたれ、わずかに笑った。

 「やっと、ひと息つけますね」

 「息つく暇なんかねぇよ。まだ三百ノード残ってる」

 「ですよね。……めんどくさい」

 野田も笑った。

 「それでいい。“めんどくさい”ってのは、生きてる証拠だ」


 二人は再び端末に向かい、無言でキーを叩き始めた。

 C-Roomの換気ダクトを通して、外の世界のわずかな風の音が届いた。

 地上ではまだ、水が退いていない。

 しかし地下では――情報の血管が、少しずつ脈を取り戻していた

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