第61章 「場違い」の警報とアイデンティティの防衛
手品サークル「アルカナム」の会議室。前章で同調性のべき分布を確認したメンバーは、その根底にある集団への帰属意識、すなわちアイデンティティの重要性について議論を始める。
課長: 「さて、私たちの同調性がべき分布を描く背景には、『集団に所属していること』が生存に直結するという、極めて古い進化的なプログラムがあります。著者はこれを、『場違いだと殺されてしまう』という警報アラームだと表現しています。伊藤さん、この**『場違い』の脅威が、個人の知的能力**にまで影響を与えるメカニデンズムを解説してください。」
伊藤さん: 「はい。それが**『ステレオタイプ脅威』です。これは、特定のアイデンティティ**(例えば理系女子学生や黒人学生といった少数派)が、劣っているというネガティブなステレオタイプを確認してしまうのではないかという不安に晒されること。この不安が無意識を全力で警報モードにし、脳内でリソースを大量に消費します。具体的には、ワーキングメモリーの活動が妨げられるという研究があります。」
渡辺さん: (静かに)「つまり、『テストの点数を落とすこと』と『ライオンに遭遇すること』が、脳にとっては同じレベルの危機だということです。生存に関わる最優先事項に脳の認知資源が割り当てられる結果、試験問題のような高次の統合・調整が必要な課題に使えるリソースが減り、成績が下がる。VR高所恐怖症の実験で、床だとわかっていても体が動かないのと同じ理屈ですね。」
主任: 「うわー!じゃあ、俺が予算会議で部長の無茶な企画に激しく動揺して計算をミスるのは、『場違いな企画を承認したら会社が倒産する』っていう生存本能がワーキングメモリーを奪ってるからッスか!俺の無駄な心配性は、最高の危機回避能力として遺伝的に証明されたッス!」
高橋さん: 「(お煎餅を噛みながら)共同体への所属は、それほど強固なものだね。場違いは生命の危機。さらに著者は、**『仲間外れは、殴られるのと同じ』**という、もっと直接的な話をしている。ウィリアムズのサイバーボール実験について、佐藤くん、フィジカルに説明してくれるかい?」
佐藤くん: 「(目を輝かせ、立ち上がりながら)はい!サイバーボールッスね!オンラインでフリスビーを投げ合うだけの単純なゲームなのに、仲間外れにされた途端、被験者の脳の活動が活発化する!それが背側部ッス!ここが活発化するのは、肉体的な苦痛、つまり殴られたり蹴られたりした時と同じ場所!脳は騙せないってことッス!精神的ダメージがフィジカルな痛みとして脳に刻まれる!だから、いじめは肉体的な暴力と同じ、いや、それ以上の生命の危機ッス!」
小林さん: 「ええー、そんなに痛いなんて…。でも、私たちもマジックで新入生を驚かせた後、すぐに**『あなたは私たちの大切な仲間です』って所属意識を与えないと、精神的な暴力になっちゃうってことッスか?優しさも進化論的な戦略**なんですね。」
伊藤さん: 「ウィリアムズの研究では、孤独の意識は記憶や早期といった単純な課題には影響せず、統合や調整を行う高次のプロセスにだけ害を与えることが示されています。つまり、認知資源の大半が**『孤立から逃れること』に費やされてしまうからです。そして、課長、著者はここで非常に残酷な事実に触れています。『アイデンティティの確立は、誰かを排除することでしか達成できない』**という点です。」
課長: 「(テーブルに肘をつき、静かに)はい。これが同調性のダークサイドです。共同体とは、『俺たち』と『やつら』の境界線を引くこと。仲間外れはその境界線を確定する必須の手続きです。誰もが仲間外れの穴に落ちないために、誰かを穴に突き落とす。これは、私たちが支配と服従の本性を、親子関係という長い養育期間からプログラムされているのと同じくらい、根源的な構造です。」
高橋さん: 「支配と服従は報酬と損失だね。自分より下の階層と比較するときは金銭的報酬を考える部位が活発化し、上の階層と比較するときは身体的苦痛を考える部位が活発化する。脳は他人を支配することを報酬と捉えるように設計されている。この社会的な私と個人的な私という二重のアイデンティティのゲームこそが、人間社会の物語の原型だ。」
佐藤くん: 「(興奮気味に)じゃあ、サークルで一番上手いマジシャンになろうとするのは、支配欲!でも、課長に服従するのは報酬(承認)のため!すべてが生存競争ッスね!俺、排除されないために、フリスビーじゃなくてトランプで防御の筋肉を鍛え抜くッス!」
主任: 「(青ざめながら)排除…排除されたら肉体的な痛みッスね…。支配と服従が親子関係から来てるなら、課長は俺たち全員の圧倒的な権威ってことッスか…。予算の件で反抗したら肉体的な制裁が…!もういっそ自主的に服従して、心理的な苦痛から逃れるッス…。」
課長: 「そう、主任。服従は不安からの逃避であり、安心感という報酬です。次章では、この支配と服従がパーソナリティ、特に性差や文化(集団主義と個人主義)によってどう表現されるかを掘り下げ、同調性の文化的なデフォルト戦略について議論を終えます。解散。」