第60章 同調性のべき分布とアイデンティティ:キャラと群れの論理
手品サークル「アルカナム」の会議室。議題は、外交性や神経症傾向が従う正規分布とは異なり、同調性が「べき分布」を描くという、社会性の非対称な構造へと移っている。人類の生存戦略とアイデンティティの防衛が、最終的なテーマだ。
課長: 「さて、私たちのパーソナリティの多くは正規分布に従い、平均的な人が大半を占めます。しかし、同調性はそうではない。アッシュの実験やミルグラムのアイヒマン実験が示すように、集団の圧力が加わると、ほとんどの人は権威に従うか、視覚認知さえも変容させる。同調性はべき分布、つまり予測不可能なロングテールを持っています。主任、なぜ同調性は平均的な社会性ではなく、極端な非対称性を持つのでしょう。」
主任: 「(深いため息の後、顔を上げて)べき分布…それは、集団の成立という究極の目的から考えると、最も効率的な構造だからッス。正規分布だと、反抗的な人間が多すぎて、共通の行動指針が立たない。アリやハチのように、大多数はプログラム通りにコロニーに同調する。これが社会の土台であり、プログラムが破綻しない安定性を保証する。だから、大半が同調し、ごく少数の巨人が異端となる非対称性が、進化的に選択されたんスよ。例えば、SNSのアクセスや富の分布がべき分布であるように、社会の複雑な相互作用の帰結ッスね。」
伊藤さん: 「そして、そのロングテールにいる非同調的な人の行動こそ、協調性パーソナリティの本質を突きます。この協調性は、同調性と共感力という、相関しない独立した特性の組み合わせで決まる。ミルグラムの実験で、450ボルトまで上げた主婦の例は衝撃的です。彼女は高い共感力を持ちながらも、『実験だからやるしかなかった』と自己正当化し、権威の圧力に屈した。これは、個人の倫理が集団の役割によっていとも簡単に上書きされるという、人間の社会性の恐ろしさを示しています。」
渡辺さん: (淡々と)「その上書きを担うのが、左脳です。右脳(無意識)が苦痛に共感し**『やめろ』と警報を鳴らしても、左脳(意識)は『私は仕事をやっただけ』『実験なんだから理由がある』と物語を紡ぎ、同調という社会的な役割を優先した。これは、認知資源を節約し、集団との摩擦を回避する進化的な方策です。さらに恐ろしいのは、アッシュの実験が示したように、集団の圧力は行動だけでなく、視覚認知そのものを変容させること。間違いだと知りつつ従うのではなく、本当に同じ線に見えてしまう。意識が無意識の防衛を、現実の歪曲という形で実行した結果です。これが『場違いだと殺されてしまう』という、進化的な共同体への所属欲求が個人の倫理や現実認識**を上回った結果です。」
高橋さん: 「場違い。これがキーワードだね。人種やステレオタイプがアイデンティティ、つまり**『自分がどの社会に属しているか』のしるしだとしたら、そのしるしが『このコミュニティにふさわしくない』と脅かされること、これがステレオタイプ脅威の本質だ。白人学生が『運動神経』で、黒人学生が『知能』で成績を下げるのは、アイデンティティのしるしがネガティブな評価に晒されたことで、生存への脅威を感じ、認知的負荷が増大するからだ。実力以前に、場違いの不安が、その人間の能力発揮を妨げる。だから、集団は絶対的な安心感**を与えなければならない。」
小林さん: 「なるほど!じゃあ、私たちが手品サークルで**『ここはあなたの居場所ッス!』って強烈にアピールするのは、進化論的に正しい生存戦略ってことッスか!アイデンティティの脅威を『安心感』に錯誤帰属**させ、パフォーマンスを最大限に引き出す環境を提供できる!」
課長: 「その通りです。私たちの究極のゴールは、新入生に**『居場所(共同体)』と、『その共同体にふさわしいパーソナリティ(キャラ)』を提供し、彼らの自尊心を安定させることです。自尊心とは、舞台の出来栄えで決まる。キャラと舞台がうまく合っていて、観客から高い評価を獲得できている状態、これこそが安定した自尊心**です。自尊心の不安定さは、**神経症傾向(不安)**という遺伝的バイアスと、**舞台での失敗(観客からのブーイング)**によって引き起こされるのです。」
佐藤くん: 「じゃあ、俺の大声や熱狂は、『このサークルは活発で、あなたもそうなるべきだ!』という同調圧力でもあるッスね。でも、べき分布のロングテールにいるような内向的な蘭のメンバーに、同調させつつ、個性を認めるという矛盾をどう成立させるッスか?みんな俺みたいになる必要はないッスよね!」
伊藤さん: 「その矛盾を解消するのが、ビッグエイト、そして役割の付与です。私たちは新入生に対し、『あなたの内向性は繊細な技術のため、神経症傾向は最高の危機管理能力のために、この群れには必要不可欠な要素だ』という物語を渡します。これは同調ではなく、役割です。共同体の中で、自分のキャラが最適に機能しているという自己正当化の物語を、権威あるサークル(教師役)から与えるのです。これにより、ナルシシズム(自己の絶対化)は他者からの承認という形をとり、社会性の枠組みの中で機能し始めます。」
主任: 「(胸を張って、課長を見据えて)俺のネガティブなシミュレーションと低い心拍数も、『アルカナムの生命線』というキャラ設定として肯定される。ナルシシズムを巧妙に隠し、群れの存続に貢献する最高のフィクサーキャラッスね!自尊心が極めて安定してきたッス!左脳の物語紡ぎは、最高の防衛システムッス!」
課長: 「(満足そうに手を叩き、全員を見渡して)結構。最終結論です。心とは、進化と遺伝を基盤とし、ドーパミン(欲望)と神経症(恐怖)によって駆動されるシステムです。そして、そのシステムが共同体という舞台で、ナルシシズムを隠蔽しながら最適に振る舞うために作り出した自己正当化の物語、それがパーソナリティです。私たちアルカナムは、新入生に最高のパーソナリティという名のマジックを提供する。この理論を応用すれば、できないマジックはありません。解散!」