第50章 ナルシシズムと意識の幻想
サークル棟の会議室。テーブルには本書のコピーと、なぜか主任が買ってきた高級なカトリック系のクッキーが置かれている。手品サークルのメンバーたちは、本書の「はじめに」と「Part一」を読み終え、議論を始めていた。
課長: (クッキーの箱を傾け、恍惚とした表情で)「この本の最も素晴らしい主張は、『ナルシシズムは神の属性』だという点です。自己愛とは得意なパーソナリティではなく、私=自己中心として世界を捉える脳の基本OS。つまり、私たちは皆、人生という舞台の主役であり、観客の評価によって自尊心を保っている。このクッキーを買った主任の行為も、『私は気の利く人間だ』というナルシシズムの巧妙な隠蔽に過ぎません。」
主任: 「(顔面蒼白で)課長!俺の自尊心が不安定なのは、このクッキーの価格を気にしているからッス!観客(経理)からブーイングを浴びる気がするッス!俺の自尊心の不安定さは、神経症傾向で説明できるって書いてあったけど、神経質になるのは当然の社会の圧力ッス!」
渡辺さん: (淡々とノートにメモを取っている)「自尊心の不安定さは、神経症傾向で説明できる。この本が提示する**『心は遺伝の影響を受ける』という原則とも整合的です。ただ、それ以上に興味深いのは、『意識の役割は自己正当化』という論点です。分離脳実験の話ですね。右脳が無意識に『笑え』という命令を実行しても、左脳(意識)は理由を知らないから、『先生の顔が面白かったから』と適当な物語**をでっちあげる。」
伊藤さん: 「まさに、私たちが日常で経験していることです。『なぜこのサークルに入ったか?』という問いに、私たちは『なんとなく楽しそうだったから』と答える。でもその『なんとなく』の裏側では、無意識の直感知能が、サークルの雰囲気、メンバーの外見や知能を、1秒あたり1000万要素以上の情報で分析し、生存と生殖に有利だと判断していた。意識は、その膨大な演算結果を言語化できないだけです。」
佐藤くん: 「直感知能!俺、分かったッス!複雑なボタンを押す実験で、規則に気づいてないのに成績が上がるってやつッスね!それって、職人の知恵(暗黙知)ッス!俺が毎朝やってる腹筋の回数とか、無意識で複雑な規則を学習してるッス!無意識こそ本能のAIッス!」
高橋さん: (無言で渡辺さんに煎餅を差し出す)「心は脳の活動で、進化の適用。生き物は最小限のことで目的を達成する。ナルシシズムが神の属性だとしても、その神様はものすごく効率的なんだね。自分の行動理由をいちいち論理的に説明するなんて、エネルギーの無駄だ。だから、左脳は適当な理由をつけて、エネルギーを保存している。」
小林さん: 「エネルギー保存!カワイイ!でも、ナルシシズムを巧妙に隠蔽するって、すごく協調性が必要ってことッスよね。私は、主任みたいにカトリック系のクッキーじゃなくて、カワイイ猫型のクッキーを配れば、もっと高評価をもらえたはず!それって、パーソナリティが外見から影響を受けるってことじゃないッスか?」
課長: 「その通り、小林さん。外見と知能は、ビッグファイブには含まれていないが、生存への脅威と生殖の対象を見極めるために、無意識が真っ先に注目する最も重要な要素です。我々がナルシシズムを隠蔽するために使う協調性や堅実性といった向社会的感情は、突き詰めれば、『私はこの群れにとって脅威ではない、そして生殖の候補だ』という無意識のメッセージを装飾するためのアクセサリーに過ぎません。」
主任: 「アクセ、アクセサリー…!俺の誠実性が、ナルシシズムのアクセサリーッスか!?じゃあ、俺が朝早く出勤するのは、『有能な人間だ』と自己正当化するための無意識の演出ってことッスか!俺は真実を知るのが怖いッス…。」
渡辺さん: 「(主任に冷静に)真実を知ることは、脳幹が切断されている以上、絶対に不可能です。意識は無意識にアクセスできない。ただ、この本は**『心は遺伝の影響を受ける』とも述べている。あなたの神経症傾向は、遺伝率50%以上で、生まれつきのキャラのパラメーター**かもしれない。それを理解し、受け入れることこそが、自尊心を安定させる唯一の方法です。」
伊藤さん: 「ナルシシズムを前面に出すか、巧妙に隠すか。それが、非社会的パーソナリティと向社会的パーソナリティの違いです。私たちは、外向性や協調性というパラメーターを使って、自分のナルシシズムを社会的に受容可能な物語に作り変えているのです。次の章では、そのパラメーターの威力が、いかに世界を揺るがしたかを見てみましょう。」
課長は満足げに笑い、主任は自分の存在理由が無意識の演出であることを知り、深い自己探求の沼に沈んでいった。