第49章 ビッグエイトと自己愛の物語
新歓イベント前夜、サークル棟の会議室は、静かな緊張感に包まれていた。伊藤さんのノートPCには、新入生から収集したSNSデータに基づき、「ビッグエイト」を応用した予測プロファイルが映し出されている。
課長: (プロファイルリストを見ながら)「これまでは、不快を快に錯誤帰属させるための感情の原型について話しました。しかし、マジックの成否を分けるのは、個人のパーソナリティ、つまり8つの要素です。新入生は皆、人生という物語の主役。そのキャラのパラメーターが違えば、響く報酬の言葉も違う。」
伊藤さん: 「その通りです。私たちは、既存のビッグファイブ(外交性、神経症傾向、協調性、誠実性、経験への開放性)に、どう調整(Sociability)、外見(Appearance)、知能(Intelligence)を加えた8つの要素で新入生を分類しました。これにより、彼らのキャラが求める物語が明確になります。」
主任: 「8つの要素…!まるでロールプレイングゲームのパラメーターッスね!ってことは、俺の**『誠実性』と『どう調整』は、サクラ役のココアの温度管理に最も適してるってことッスか…?それが俺の天職**ッスか?」
渡辺さん: (主任に温かいココアの試作品を渡しながら)「主任の高い誠実性は、新入生にとって信頼できる共同体の象徴です。無意識は、脅威からの回避(不快)の次に、生存と生殖に有利な評判を獲得できる群れ(社会)を探します。主任、あなたの地味な安定感が、課長の派手な自己愛を現実社会に繋ぎ止めるブレーキです。」
課長: 「(主任のココアを一口飲む)ありがとう、渡辺さん。そして、この自己愛こそが、マジックの最終的なタネ明かしです。私たちは新入生全員の『自分が世界の中心にいる神である』というナルシシズムを肯定しなければならない。」
伊藤さん: 「そのための、個別メッセージの最終調整です。例えば、『経験への開放性(新規制)』スコアが極端に高い新入生には、動揺を『あなたは、辞書に載っていない新しい性格の持ち主だ。このサークルで、その特異な才能を証明しなさい』というメッセージで自己正当化させます。」
小林さん: 「カワイイ!じゃあ、『外見』スコアが高い新入生には?『あなたの美しさは、この世界の規則性を乱すから、驚いたのは当然よ』とかどうッスか!外見もパーソナリティのパラメーターって、なんかすごくポリコレを破壊してて気持ちいいッス!」
課長: 「素晴らしい、小林さん!政治的に正しいイデオロギー(ポリコレ)は、無意識の真実を覆い隠すものでしかない。私たちは外見も知能も、すべてパーソナリティのパラメータとして利用します。さあ、佐藤くん。君の**『猫の静止術』**の最終リハーサルを見せて。」
佐藤くん: (壁際で、複雑な動きから一瞬で微細な静止に移る)「ッス!課長!この動きは、『生存への脅威』と『生殖の対象』を見定める無意識の機能に訴えかけるッス!俺の**『外見』と『熱意』を、新入生は生殖の候補ではないが、信頼できる群れの仲間だと無意識に分類**するッス!」
高橋さん: (静止した佐藤くんを凝視し、小さく頷く)「静止の中に、『賢い群れ』の知恵が宿っているね。高等教育を受けていなくても賢いと言われる人たちと同じだ。君の暗黙知が、このマジックの再現性問題を克服する鍵になる。」
渡辺さん: 「ただし、『知能』スコアが極端に高い新入生は危険です。彼らは『左脳の自己正当化』を求めず、『規則の変更』の真実に気づこうとします。その場合、メッセージは『あなたは賢すぎる。この真実を理解できるのは、私たちだけです』と、秘密の共有による自己愛の刺激に切り替えます。」
伊藤さん: 「そして、マジックが失敗し、新入生が**『不快+鎮静(無気力・落ち込み)』の状態に陥った場合です。それは、彼らのパーソナリティが現代社会に適応できていないサイン、つまり『失敗するパーソナリティ』の兆候かもしれません。その場合は、温かいココアの代わりに冷水を渡し、『このサークルは、あなたにはまだ早い』**というメッセージで、敗北を合理化させます。」
主任: 「冷水!?そんな残酷な仕打ちが許されるッスか!俺の協調性が悲鳴を上げてるッス!倫理的観点から見ても問題ッスよ!」
課長: 「主任。倫理とは、群れが生存するために作った物語です。この実験の目的は、群れへの適応。冷水を渡すことは、『自分のキャラのパラメーターと社会の要求がズレている』という真実を、最小限の損失で知らせるための進化的な適用です。彼らにとって、『自分は特別な存在ではない』という真実を突きつける方が、冷水よりもよほど不快な損失なのです。」
高橋さん: 「冷水は不快だね。しかし、その不快を**『群れに受け入れられなかった悲しみ』に帰属させることで、彼らは別の物語を探すことができる。これもまた、恒常性の維持のためのエネルギー管理**だ。」
主任: 「(意を決したように)…わかりましたッス。俺は、冷水と温かいココア、両方の温度管理を完璧にこなすッス。俺の誠実性が、この残酷で賢いマジックを支えるッス!」
課長: 「(満足げに、主任の肩を叩く)最高です、主任。私たちのマジックは、誰もが演じている人生というロールプレイングゲームのパラメーターを操作し、彼らの自己愛を最高の形で満たす。明日、このサークルは、新入生の無意識の物語を創造する創造者になります。」
渡辺さん: (ココアの温度計を見つめながら)「あとは、無意識の反応を待つだけです。私たちが仕掛けた8つの要素が、新入生の魂の傾向を照らし出すでしょう。」
夜が明け、手品サークル「アルカナム」の会議は終わった。彼らが仕掛けるのは、単なる手品ではなく、人間のパーソナリティの根源に迫る、壮大な心理学的イリュージョンである。