第47章 直感知能と左脳の自己正当化
サークル棟の会議室。テーブルには、課長が持ち込んだ複雑なボタンとモニターのセットアップが置かれている。これは、実験で使われたという「無意識の学習」の装置らしい。
課長: (満面の笑みで、モニターの前に立つ)「皆さん。私たちの目的は、新入生を驚かせることではない。彼らの無意識、つまり魂にアクセスし、『私は今、何者か?』という人類史上最大の問いを投げかけることです。その鍵は、このモニターに隠されています。心理学の教授ですら気づかなかった、**直感知能(パターン認識知能)です。」
主任: (頭を抱えながら)「またスケールがデカくなったッスね…。『直感知能』って何ッスか?IQじゃないってことッスよね?俺は予算の直感で、これ以上新しい機材は買えないってわかってるッスよ!」
伊藤さん: 「主任、落ち着いてください。直感知能とは、大量の入力情報、例えば視覚や聴覚からの1100万要素以上の情報を意識に上がらないレベルで瞬時に分析し、複雑な規則を学習する能力です。実験では、ボタンを押すまでの時間が短くなることで学習が証明されましたが、被験者はなぜ早くなったか全く説明できなかった。つまり、手品のタネを無意識は理解するが、意識は言語化できない状態を作り出すのが目標です。」
佐藤くん: (ボタンを高速で連打しながら)「タネを理解しているのに説明できない!それはまるで、体が勝手に動くってことッスね!俺、無意識のリズムに乗って、新歓で驚異的なパフォーマンスを披露するッス!直感でボタンを押す訓練をします!」
渡辺さん: (ノートに『右脳の知能:言語理解可、意識化不可』と書き込む)「無意識の知能は、言語中枢のない右脳が命令を理解し、実行する分離脳実験にも通じます。右脳に『笑え』と示されて笑っても、言語中枢がある左脳は、なぜ笑ったか知らず、『先生の顔が面白かったから』などと自己正当化する。我々のマジックのゴールは、新入生に**『なぜ驚いたか』を誤って説明させる**ことです。」
小林さん(: 「誤って説明?カワイイ!じゃあ、タネを見せた後に猫の動画を見せるんです!そして『猫の動きが面白かったから』って自己正当化させるんです!カワイイは合理的!無意識も猫には勝てないッス!」
主任:「猫の動画はサブリミナル画像じゃないッス!ていうか、渡辺さんの話、怖いッス!俺たちの意識って、自分がやったことの言い訳係ってことッスか?!」
課長:「その通り、主任。左脳、つまり意識の役割は自己正当化。現実、私たちは皆、自分がなぜそう行動したかの真実を知らずに、適当な理由をつけて生きている。手品サークルが提供すべきは、その自己正当化のシナリオです。新入生が『なぜこのサークルに入ったか』を、後で魅力的な物語として語れるように仕向けるのです。」
高橋さん: (静かに煎餅をかじる)「そうか。お煎餅が美味しい理由も、無意識は『塩気』だと知っていても、意識は『誰かと一緒に食べたから』とか、『特別な日の味だから』と説明する。意識は物語を求め、真実を捨てるんだね。手品も真実を捨てる儀式**だ。」
伊藤さん: 「では、具体的なマジックの設計です。私たちは、直感知能を利用した『無意識のパターン認識を破壊するトリック』を考案すべきです。新入生は一連の動作のパターンを無意識に学習し、次に何が起こるか予測できるようになります。その予測が成立する直前、突然規則を無効にする。この『予測の破壊』が、無意識に『異常なこと』として察知され、第六感のように意識に上る。彼らは驚きを言語化できない状態に陥るはずです。」
課長:「素晴らしい、伊藤さん!その**『第六感に訴える』という表現、最高です。夜道を歩いていて何かの気配を感じて立ち止まる。あの無意識の警報を、マジックで引き起こす。では、主任、その『パターン破壊』を演出するための機材と予算を。」
主任:「(絶望的な表情で)パターン破壊…!つまり、規則性のない動きに対応できる多軸制御のロボットアームが必要ッスね!?…予算は、直感では絶対無理ッス!左脳の合理性が崩壊するッス!」
佐藤くん:「ロボットアームに頼るなんて、職人の知恵(暗黙知)に反するッス!俺たちの身体こそが、最高に複雑な規則を生み出す中枢神経系ッス!俺が不規則な動きを習得するッス!『サッカード(眼球の微細な振動)』のように、一瞬で動きを止めるッス!」
渡辺さん: 「(佐藤くんの動きを観察しながら)『サッカード』から得られる情報は、通常無意識で処理され、世界が揺れ動くのを防ぐ。彼らの無意識の安定性を揺るがすには、佐藤くんの動きは速すぎる。むしろ、意識が追えないほどの遅い、微細なズレこそが、無意識の警報を引き出す鍵です。」
小林さん: 「じゃあ、猫の微細な動きをヒントにするッス!猫が獲物を狙うときの、意識と無意識の間の、あのピタッと止まる瞬間!あれを佐藤くんが習得すれば、カワイイけどタネがわからない究極の直感マジックになるッス!」
課長:「(手を叩く)それだ!佐藤くん、君の訓練は『猫の静止術』に決定です。主任、機材は買わず、既存の舞台装置の微細な調整に予算を振り替えてください。意識が処理できない、1秒あたり40要素以下の微細なズレを作り出すための調整に。」
主任:「微細な調整は、精密機械技師の仕事ッス…。わかりましたッス。しかし、その微細なズレをどうやって『サークルに入った理由』に自己正当化させるッスか?『微細なズレが面白かったから入りました』なんて、誰も言わないッスよ!」
伊藤さん: 「それは次章のテーマです。人間の行動原理は、報酬(快)の獲得と損失(不快)の回避という進化的な原理に基づいています。この微細なズレによる無意識の動揺(不快)を、サークルの温かい雰囲気(快)によって上書きし、『錯誤帰属』させるのです。感覚と感情は、脳内で連携していますから。」
課長:「そう、感情はエネルギー管理を効率化するために進化した。次章では、その『快/不快』の原理と、私たちが共有する6つの感情の原型について掘り下げます。主任、君の左脳の合理性も、無意識の報酬システムの前には無力ですよ。」
主任:「(茫然自失)俺の合理性が、報酬システムの前で無力…。俺の『微細な調整』と『温かいココア』のどちらが報酬として勝つか、不安になってきたッス…。」
高橋さん:「(煎餅を主任に差し出す)大丈夫。煎餅は快だよ。最小限のことで目的を達成する、生物の基本原理。ほら、エネルギーを保存しな。」