第42章 私はどのように私になるのか
手品サークルの部室に、いつもの活気が戻ってきた。課長が新しいトランプの束を手に取り、「さあ、ついに最終章よ!この本の最後の『不愉快な真実』、何が飛び出すかしら?」と期待に満ちた目で渡辺さんを見つめた。
渡辺さんは、本を静かに閉じ、淡々とした口調で話し始めた。「最終章のテーマは、『私はどのように私になるのか』です。この章の結論は、衝撃的です。著者は、『私は遺伝と非共有環境によって私になる』と主張しています」。
小林さんは、新しいマジックの練習で失敗し、手に持っていた花を散らばらせてしまった。「え、非共有環境?それってどういうことですか?親の育て方は関係ないってことですか?」と不安そうに尋ねた。
高橋さんは、冷静に言った。「それは、第1章で少し触れていた話ね。子どものパーソナリティは、親の育て方ではなく、遺伝と友達関係で決まる、という説でしょう」。
「まさにその通りです」と、渡辺さんは続けた。「著者は、親が子どもに与える『共有環境』、つまり家庭環境や子育ては、子どもの人格形成にほとんど影響を与えないと述べています。これは、離れて育てられた一卵性双生児が、同じ家庭で育った双子と同じくらい似た性格や能力を持つという研究結果から導き出された結論です」。
主任は、佐藤くんにマジックを教えながら、「すごいですね…。僕たちって、親からいろんなことを教わって、それで今の自分があるって思ってましたけど…」と驚きを隠せない様子だった。
伊藤さんが、静かに付け加えた。「この本は、アメリカの心理学者、ジュディス・リッチ・ハリスが提唱した『集団社会化論』を紹介しています。彼女は、子どもが親の言うことを聞かないのは、社会的な集団、つまり友達から排除されることを極端に恐れるためだ、と説明しています。子どもは、親の価値観よりも、友達グループの暗黙のルールに従おうとする生存本能を持っている、と」。
小林さんは、少し考え込んでから言った。「たしかに、私も高校生の時、親に『そんな服着ちゃダメ!』って言われても、みんなと同じ服を着たいって思ってました…」。
課長は、トランプを高く積み上げながら、笑顔で言った。「なるほどね!じゃあ、私たちがこうして手品サークルに集まって、みんなが個性を出し合って、手品を磨いているのも、この『集団社会化』の賜物ってわけね!」。
「その通りです」と、渡辺さんは頷いた。「著者は、子どもは自分と似た遺伝的特性を持つ友達に自然と惹きつけられる、と述べています。そのため、同じ遺伝子を持つ一卵性双生児は、別々の家庭で育っても、同じような友達関係を作り、同じような人格を形成していくのです」。
高橋さん:「そういうことだったのね…。この本は、最後まで不愉快だったけど、ものすごく腑に落ちたわ」。
渡辺さんは、最後の言葉を静かに放った。「この本は、私たちに、遺伝子や環境が持つ残酷な現実を直視することを求めています。そして、その『不愉快な真実』を理解した上で、より現実的で、より良い社会を築くための『魔法』を探求していくことを示唆しているのです」。
課長は、トランプを高く放り投げ、綺麗にキャッチしながら言った。「そうね!私たちの人生は、親や運命に決められたものじゃない。私たちは、自分自身の遺伝子と、そして、ここで出会ったみんなという『非共有環境』の中で、最高の『魔法』を生み出すことができるんだから!」
サークルメンバーたちは、課長の言葉に力強く頷いた。渡辺さんは、そんな彼らの様子を静かに見つめながら、満足そうに微笑んだ。