第31章 《ノード再生 ― 地下の光が戻る日》
午前6時。
都庁から東へ延びる地下連絡路。
瓦礫の下に隠されたその一角は、もはや“地下街”ではなかった。
壁のタイルは剥がれ、電線は黒い縄のように垂れ下がっている。
だが、そこに淡い光を当てる人影があった。
通信土木班、現場第1区隊。
腕章には「NTT東・災害復旧連絡班」と記されていた。
「水位、35センチ。排水ポンプ、起動します」
ポンプのエンジンが低く唸る。
この連絡路の先、四谷方面にある共同溝No.14-B――都心の主要通信幹線のひとつだ。
3か月前の津波で地下6mまで冠水し、すべての光ファイバケーブルが泥と塩分に埋もれた。
復旧の鍵は、そこに残された“死線”を“生線”に戻すことだった。
■ 光の探査
白井(若手技師)は、泥の中から防水コネクタを慎重に引き上げた。
ケーブルに刻まれた銘板には「G.654E/12芯」とある。
長距離用の純石英コア、低損失タイプだ。
「OTDR、波長1310・1550・1625。3系統測定」
隣で測定器がピッと鳴る。
波形が画面に描かれた。緩やかな上り坂の途中に、一か所だけ鋭いピーク。
「損失2.9dB。破断点は2.8km先、市ヶ谷手前です」
白井が報告する。
「そこまで生きてるのか……上出来だ」
野田技監が頷く。
このケーブルが使えれば、都庁から市ヶ谷中継室までの地上光接続を再構築できる。
復旧率が一気に二桁上がる。
「浸水区間は浮上管で回避します。Φ100のHDPE管を仮設橋梁に載せて引き込みます」
「橋梁の耐荷重は?」
「許容20kN。ケーブル+水密固定具で12kN以内に収まります」
技師たちの会話は、数字と単位でしか構成されない。
だがその数字一つひとつが、都市の命を延命させる処方箋だった。
■ 中継室 ― 眠っていたノードの再点火
午前9時、市ヶ谷中継室。
外壁の一部は崩落し、内部には塩の結晶が白く固まっている。
ラックの半分は腐食。だが奥の一列だけ、保守員の手で復旧可能と判断された。
「UPS(無停電電源装置)、セル交換完了。電圧22.4V。通電します」
スイッチが入る。蛍光灯が瞬き、数秒後に安定した光を放った。
「生き返った……」
鷹野が小さく呟いた。
UPSに続いて、ルータの電源を投入。
Ciscoの起動画面が上がる。
ROMMON > boot system flash:c7200-advipservicesk9-mz.124-24.T5.bin
モニタに古びた英字が流れ、ログインプロンプトが点滅する。
「OS起動完了。リンクインジケータ……緑!」
彼女の声がわずかに震えた。
LANテスタのLEDが、1Gbpsリンク確立を示して点灯。
遠く、都庁屋上のルータにも同時に緑が灯った。
「都庁-市ヶ谷間、光リンク確立。遅延3.7ms」
野田が端末に記録する。
3か月ぶりに、地上の“光”が再び通った。
■ 水との戦い ― 地下という生物の再生
午後、九段下側の共同溝に向けてケーブルを延ばす。
空気は湿り、地下鉄の空洞のように広がる。
「濃度計、酸素15%。換気ブロワ、起動!」
地下作業では酸欠が一番の敵だ。
さらに、塩分を含む湿気は光ケーブルの被覆を蝕む。
「次のロール、被覆は耐塩PVCで!」
白井が叫び、補助員がドラムを転がす。
その手はどろどろに汚れていた。
だが、誰も文句は言わなかった。
彼らは知っている。通信は、泥の上で生まれ直すということを。
中継箱にケーブルを固定する。
「端末処理、SC/APCで。接着剤硬化10分」
接続が終わると、光パルス試験。
「反射損0.12dB。十分使える」
白井が報告する。
「じゃあ、次は冗長ルートだ。飯田橋経由で第二光を通す」
「了解。溝内温度28℃、湿度89%。作業続行可能」
短い会話。
そのすべてが、無線ではなく有線で記録されている。
いまや、言葉の一つひとつがログとして残る都市になっていた。
■ 東京を支える地下の地図
都庁作戦本部の壁には、巨大な図面が貼られている。
それは、東京の地下に張り巡らされた通信管路の地図。
赤い線は生きている回線、青は断線。
そして緑は、今まさに復旧中のルート。
赤がゆっくりと増えていく。
「四谷―市ヶ谷、点灯。九段下も間もなく」
通信監視モニタの画面には、光損失のグラフが表示されていた。
以前の平均損失は3.5dB、今は2.1dBまで下がっている。
「再生ルートの総延長、9.6km。都心の30%が再接続完了」
野田が読み上げる。
「次は、地下鉄東西線トンネル経由で飯田橋から秋葉原へ。EMP耐性ルートを使う」
「金属管ですか?」
「いや、光の遮蔽層を二重構造にする。銅テープ+導電性繊維ジャケット。EMPにも強い」
技師たちは頷き、再び地下へ降りていった。
■ 最後のスイッチ
夜。
市ヶ谷中継室の制御卓に、緑のランプが一つずつ増えていく。
都庁、四谷、飯田橋、秋葉原、そして九段。
全てのリンクが繋がった瞬間、ログ画面に一行が現れた。
[21:42:17] Tokyo Fiber Backbone — STATUS: RESTORED (PRIMARY)
鷹野は無言で画面を見つめ、ペンを置いた。
「これで、“仮想”じゃなく、本物の線が戻った」
白井が小さく笑う。
「……長かったですね」
「いや、これが始まりだ。ここから都市を“常態”に戻す」
野田が立ち上がり、再生したラックに手を置いた。
金属の冷たさの中に、確かな熱があった。
その夜の東京。
地下にはまだ水が滲んでいる。
だが、都庁の屋上アンテナは静かに光り、
地下の光ファイバーは、再び都市の心臓を照らし始めていた。
見えない通信の束が、海に沈んだ街を少しずつ引き上げていく――。
■ 技術補遺(現実設定)
•管路構造:都心共同溝(内径2.5m)+地下鉄連絡路併用。
•ケーブル仕様:ITU-T G.654E(純石英低損失光ファイバ)、12芯構成。
•光損失:0.18dB/km、接続点反射0.1dB以下。
•測定機器:OTDR(1310/1550/1625nm 三波長)、SC/APCコネクタ採用。
•電源系統:UPS+DC24V非常電源、バッテリ24時間稼働。
•防潮処理:浮上管+水密ジョイント(耐水圧0.5MPa)、内部シリカゲル封止。
•EMP対策:導電性繊維シールド+銅テープ巻付、アース抵抗20Ω以下。