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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2077/2187

第30章 《仮想中継局 ― 空から降ろす都市の神経線》



 午前5時12分。

 都庁第一本庁舎の屋上デッキ。気温9.4℃、風速3.8m/s。

 湿った潮の匂いがまだ残っていた。東京湾の半分は、いまだに海水と瓦礫で覆われている。

 地下通信管路の大半は冠水し、電力供給ルートも地中短絡。

 つまり――東京は、物理的に沈黙していた。


 そこに積み上げられた銀色のケース群。中には、**フライアウェイ型Ku帯衛星アンテナ(98cm反射鏡)**と、LEO衛星通信端末(平面アレイ)。

 ケースには黒マジックで書かれていた。

 《防災庁・通信再生班/機密区分C》

 野田技監は手袋を外し、錆びた固定具に触れる。まだ潮を含んでいる。

 「仰角42度、方位112度。ビーコンサーチ開始」

 通信庁の鷹野主任が即答する。彼女の視線の先で、モデムの信号灯が緑に変わった。

 「キャリアロック。BER(誤り率)10⁻⁷まで落ちた。通せます」

 「よし、LEOもトラッキング開始」

 空をかすめる衛星の軌跡が、監視画面上で細い弧を描いた。

 往復遅延36ミリ秒。 それが都市に戻った最初の数字だった。


■ 通信の「背骨」を空に引く


 地上網が沈んだ東京に、彼らは仮想のバックボーンを創ろうとしていた。

 構成図はシンプルだが、奇跡的なバランスで成り立つ。


 1. 都庁屋上 → LEO衛星(Low Earth Orbit) → 長野地上局

 2. 長野 → 名古屋 → 大阪 → 国内IX(インターネット中核)

 3. 戻り通信 → 港区高台の仮設マイクロ波塔(23GHz帯) → 新宿DC(仮設データセンター)


 LEO衛星は高速だが、軌道を移動する。90分で地球を一周し、上空を通過するのは数分間だけ。

 「だから“繋ぎっぱなし”は不可能。常にバトンリレーだ」

 野田はルータログを指差しながら言う。

 彼らが採用しているのは、NASAでも用いられているDTN(Delay Tolerant Network)方式。

 データをいったん貯めて、衛星が来た瞬間に一気に吐き出す。

 ――都市の“呼吸”を、衛星の軌道リズムに合わせて再生する仕組みだった。


■ 帯域と優先度 ― 生き残る通信のルール


 都庁庁舎内では、通信の優先順位を厳格に定義していた。

 「人命通信>行政指令>医療データ>報道>一般通信」

 オペレーターが設定したQoS(品質制御)ポリシーを確認する。

 音声通話(SIP/RTP)は最優先キューに、

 医療系トリアージDBと行政WANは優先トラフィック、

 動画やSNS系は512kbps制限。

 「帯域が足りないなら、“届けるべき情報”から通せ」

 野田の声に、若手隊員が頷く。

 通信は民主的ではない。生存優先の独裁だ。


■ マイクロ波塔 ― 海の上を跳ねる電波


 同時刻、港区芝公園の仮設通信塔。

 三十メートルのトラスが、まだ鉄骨の赤錆を見せていた。

 アンテナは23GHz帯の1.2mパラボラ。見通し距離7.2km、新宿副都心を狙う。

 「アジマス156度、固定完了。MIMOリンク成立」

 通信兵が報告。

 野田の耳に無線が入る。「リンクマージン−3.5dB、安定。フェージング対策で2偏波交差」

 突然の雨で信号が落ちれば、自動で11GHz帯サブルートに切り替わる。

 フェードマージンは計算済み。

 「台風でも落ちないラインだ。……よくやった」

 マイクロ波の微弱な震えが、空気を震わせて都市を横断していく。

 電波は、沈んだ都心の上空で再び“声”を運び始めた。


■ 電源の現実 ― 電波よりも重い課題


 通信が通っても、電気がなければ意味がない。

 都庁の自家発電設備は海水で使用不能。

 現在の電源構成は、

 - 陸自発電車:25kVA ディーゼル式 ×2

 - 燃料電池(リン酸型)2kW ×2

 - 太陽光パネル(仮設)3kW/蓄電LiFePO₄ 20kWh

 深夜電力はバッテリーモードへ自動移行。

 「LEOは電力食う。夜間は一系統だけ稼働させる」

 鷹野は消灯を命じ、屋上に青いLEDだけが残る。

 機材は命を繋ぐが、電力は命そのものだった。


■ 空からの救援 ― 成層圏の通信機


 午後、HAPS(高高度プラットフォーム)の通信が始動した。

 防衛装備庁の試験機が高度18kmで旋回し、Ka帯の光中継を降ろしている。

 地上の受信は都庁の屋上に設置した光通信ターミナル(OCT-5K)。

 雲の切れ間を縫うように、赤外ビームが屋上のセンサーヘッドを正確に照射する。

 「リンク確立、受信C/N比26dB」

 鷹野の声が上がる。

 都庁の仮設Wi-Fi(sXGP小セル)が順に点灯。

 避難所、仮設病院、庁舎の端末――全てが、数分後にオンラインに戻った。

 誰も拍手しない。

 ただ、画面上の通信ログを無言で見つめていた。

 Tokyo Emergency Net — STATUS: STABLE


■ そして、「声」が戻る


 夕刻。

 鷹野の端末が鳴った。

 発信元は長野広域通信センター。

 音声通話はまだノイズまみれだったが、確かに人の声が聞こえた。

 「――東京、応答願います。こちら長野」

 鷹野は一瞬だけ息を呑み、ヘッドセットを取る。

 「こちら東京。受信良好。生存を確認」

 たったその一言で、通信室の空気が変わった。

 誰も歓声は上げない。ただ、息を吐く音がいくつも重なった。

 それは、**三ヶ月ぶりの“生きた往復”**だった。


■ 都市の再呼吸


 夜22時14分。

 監視端末のステータスバーに、新しい行が浮かんだ。

 [22:14:03] Virtual Tokyo Network — STATUS: PARTIAL ONLINE

 都庁屋上の風速は4.1m/s。アンテナは安定。

 港区のマイクロ波塔も正常。

 「空の線、3本。地上の光、1本。……これで都市の神経は繋がった」

 野田は報告書に書き加えた。

 《冗長度:3系統(LEO×2/HAPS×1/μWave×1) 稼働率92% 電力残量:18%》

 彼はノートの余白に小さく書いた。

 > “都市は、呼吸を取り戻した。”


 夜の屋上で、風に鳴るのはガイロープの音だけだった。

 だが、確かにそこに“心臓の鼓動”のような低い振動があった。

 空を渡る電波が、沈んだ都市の上を静かに通っていた。


■ 技術補遺(現実設定に基づく)

•LEO衛星通信:Starlink/GX-LEO級。遅延35–50ms、可視時間5分前後。

•Ku帯VSAT:上り600ms遅延、EIRP 52dBW、地上局設置済み。

•マイクロ波リンク:23GHz(主系)、11GHz(補系)。雨域減衰考慮し−3dBマージン。

•HAPS光通信:Ka帯双方向、C/N比25dB以上で1Gbps級。

•電源:ディーゼル+燃料電池+太陽光+LiFePO₄蓄電(総系統独立運転)。

•通信プロトコル:DTN(BPv7) over UDP/IPsec-GRE、QoS多段制御。


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