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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2075/2187

第28章 《炎の記憶 ― 初点火試験》



 午前七時。

 台東区・浅草橋の仮設配給所。

 夜明けの光が金属の防爆ボンベを鈍く照らしていた。

 周囲の家々はまだ泥にまみれ、道路脇には膨張した舗装が折れ曲がっている。

 津波が去ってから六日、ここが首都圏で初めての都市ガス再点火試験区域に指定された。


 「中圧幹線からの減圧完了。末端圧力2.4キロパスカル。

  リークテスト開始します」

 東京ガス復旧班の班長、佐伯俊技監が声を上げた。

 オペレーターがPE管接合部に試験用の圧力計を取り付ける。

 スチール管との接合部には融着マーキング、耐圧弁が2重で組まれている。

 「テスト圧3.0キロ。5分保持」

 全員が息を潜めた。

 温度補正をかけながらゲージを確認。針は微動だにしない。

 「圧力低下なし。漏洩ゼロ」

 「よし、通ガス準備に入る」


 作業員たちは路上に組まれた仮設配管の上に膝をつき、

 末端バルブの周囲を再度検査した。

 水没地帯特有の硫黄臭がまだ残っている。

 ガス検知器(EX-T02)は0ppmを示していた。

 佐伯が指示を出す。

 「主バルブ、開弁角10度。ゆっくり上げていけ」


 中圧から低圧系統へ、ガスが送り出される。

 マンホール内で、わずかに空気が押し出される音がする。

 「流量計反応あり。圧上昇0.5、0.8……安定2.4キロ」

 「低圧系、圧力確認。OK」

 矢代中佐が立会人として腕時計を見た。

 「……よし。供給安定を確認。試験点火を開始せよ」


 作業班の若い技師が、炊き出し用の仮設コンロをセットした。

 防爆仕様の鋼製ボディに、点火電極と遮断弁が組み込まれている。

 佐伯が安全確認を読み上げる。

 「周囲可燃物なし。ガス濃度0ppm。換気良好。点火準備――」

 若い技師がスイッチを押した。

 ――乾いたクリック音。

 次の瞬間、コンロの口先から青白い炎が立ち上がった。

 誰も声を出さない。

 炎は静かに揺れ、安定した。


 「燃焼温度740℃。酸素比1.02。正常燃焼」

 佐伯がモニターの数字を読み上げた。

 矢代が短く息を吐く。

 「……これで、市街地の調理設備が再開できる」

 その場にいた全員が、一瞬だけ黙祷のように炎を見つめた。

 この六日間、被災区の避難所では冷たい食事しか出せなかった。

 湯気を上げる味噌汁の匂いが、少しずつ風に混ざって広がっていく。


 唐木顧問が、炎の色を確認する。

 「CO残留ゼロだな。燃焼安定域に入ってる」

 「はい。全域同様に供給できます」

 佐伯が頷く。

 「ただし、本系統接続はまだ早い。今日の段階では生活拠点限定」

 「わかってる。まずは“火のライン”を守る」矢代が答えた。


 午前八時、再点火式の記録データが送信された。

 圧力、流量、燃焼温度、CO濃度――全て正常。

 遠隔監視センターのSCADAにも、

 浅草橋区画の供給ステータスが緑に変わる。


 現場にいた作業員が、小さくつぶやいた。

 「これで、朝飯が温かく食えるな」

 その声に、周りの誰も笑わなかった。

 だが全員が、静かに頷いた。

 それが、都市に“日常”が戻る最初の瞬間だった。

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