第27章 《圧力の街 ― ガス統合監視棟》
東京ガス芝浦地区センター。
深夜1時を回っても、地下三階の統合監視室は明るかった。
震災から四日後、都市ガスの全域圧力監視がようやく再開されたのだ。
部屋の中央にある大型ディスプレイには、東京23区の地図が映し出されている。
各区ごとに中圧・低圧ネットワークが色分けされ、
圧力値がリアルタイムで更新されていた。
「湾岸系統A、圧力0.26メガパスカル。変動±0.01」
「世田谷南ブロック、地盤沈下域を回避して流量再配分開始」
オペレーターが次々に報告する。
端末に接続されたSCADA(Supervisory Control and Data Acquisition)システムが、
圧力、流量、バルブ開度、地盤加速度のデータを1秒単位で更新していく。
その画面を矢代隆一中佐と、東京ガス技監の佐伯俊が並んで見つめていた。
「多摩東部の中圧ライン、変動幅が大きいな」矢代が言う。
「ええ。震源からの遅れた地盤変動がまだ残っています。
地中温度が上がっているので、圧縮係数が微妙にズレてる」
佐伯はモニターに指を走らせ、圧力曲線のグラフを拡大した。
オレンジ色の線が、0.1メガを中心に小刻みに揺れている。
「AI制御でバルブ開度を0.3度調整中です。――落ち着いてきます」
SCADAの右側モニターには、
地盤変位センサー網の3Dマップが表示されていた。
東京湾岸から江東区にかけて、最大で60cmの沈下が記録されている。
「ガス管への応力計算、どうだ?」
「DIP鋳鉄管は限界近いですが、PE管はまだ余裕があります。
湾岸幹線は可とう継手で吸収。
ただし、地下共同溝区間の鋼管は監視続行が必要です」
佐伯の答えは的確だった。
制御卓の警告灯が一瞬だけ点滅した。
「圧力低下検知、北千住ブロック!」
「現地カメラ確認!」
サブモニターに映ったのは、地上のマンホール監視映像。
白い蒸気が立ち上る。
「温度上昇だ、漏洩じゃない。地下水が入り込んでる」
唐木顧問が冷静に判断する。
「補助ポンプ稼働。ライン圧維持。流量損失率0.4%以内に収束見込み」
オペレーターが復旧ルートを手動で入力した。
その動作は迷いがなかった。
矢代はスクリーンに表示された数字をじっと見つめた。
23区のガス圧は、どのブロックもゆっくりと標準値に戻りつつある。
0.25、0.27、0.28――。
人間が感じないほどの微圧の変化が、都市の深部を流れている。
「……全域、安定圧に復帰」
佐伯の声に、室内の空気がわずかに緩む。
「平均圧2.45キロパスカル、許容誤差±0.03」
唐木が報告を締めくくった。
矢代は、壁際の大型モニターに映る都心部の3D配管モデルを見つめた。
地表の道路、鉄道、地下鉄の下を、無数の配管が層を成して走っている。
「これが全部、地下3メートルの世界か……」
「ええ。電力より浅く、水道より上。
1本の管で1万人分の生活が繋がってます」佐伯が答えた。
「一本の損傷が、街を止める」
矢代は呟いた。
モニター上では、青いラインが静かに脈打っていた。
午前3時。
AIから自動報告が上がる。
《全系統安定化完了。平均供給率99.9%。再加圧領域解除》
唐木が最後に言った。
「これで、都内の約80%で調理・給湯が再開できます」
矢代は静かに頷いた。
「水も戻った。電気もついた。――次は火か」
それが、東京の生活を取り戻すための最終段階だった。