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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2073/2187

第26章 《呼吸の復旧》



 夜明け前、江東区・木場の地中で微かな空気の震えが起きた。

 震源は相模原トラフ――あの日、東京のガス幹線は広範囲で沈黙し、

 都市の呼吸は止まった。

 今、その“肺”が再び息を吹き返そうとしている。


 現場指揮車のモニターには、ガス圧曲線が表示されている。

 「圧力ゼロ。ガバナーA・Bとも閉鎖中。復圧工程に入ります」

 報告するのは、東京ガス技監の佐伯俊。

 彼の前に広がる仮設ピットの底――

 直径600mmの鋼管が、泥の中から顔を出している。

 表面のポリエチレン被覆には、津波の砂がまだこびりついていた。


 「破断部、南西50メートル先。交換完了済み」

 「接合確認――融着温度220℃、保持5分。圧試1.5MPa、漏洩なし」

 矢代中佐が記録端末に印をつけた。

 「よし、一次減圧を0.3メガでかけろ」

 「了解。一次ガバナー、開弁角10度」


 操作盤のスイッチが押され、油圧アクチュエーターがゆっくり動く。

 鋼管の奥から、かすかな風切り音――圧縮ガスが通り始めた合図だ。

 モニターの圧力針がわずかに上昇する。

 0.05、0.1、0.2MPa……。

 「圧力上昇安定。脈動なし」

 佐伯の声は落ち着いている。

 だがその横で唐木慎吾顧問は、土の匂いを嗅ぐように空気を吸い込んだ。

 「……わかるか? この匂い。都市が呼吸を始めた匂いだ」


 再加圧中、作業員がガス漏洩センサーを構える。

 光学式嗅覚ユニット《Sniffer-12》。

 微量のメタンを赤外線スペクトルで検知し、警報が鳴れば自動で弁が閉じる。

 「異常検知ゼロ。温度勾配安定」

 「よし、0.3で維持。二次ラインの減圧弁へ」


 中圧幹線から低圧配管へと流す前に、もう一段階の“呼吸調整”がある。

 それが、地区ごとのガバナーステーションだ。

 そこには、巨大なバネ式調圧器と安全弁、流量計が並び、

 ガス圧を0.3MPaから2.5kPaまで落とす。

 「バルブB-3、開弁角20度。流量100立方メートル毎時」

 「応答良好。圧力安定帯に入った」

 制御盤のLEDが緑に変わる。


 唐木が手元のタブレットで、地中配管の3Dモデルを拡大する。

 中圧線(φ300PE)から枝分かれし、住宅街を這うように走る低圧支管。

 それぞれが可とう継手で繋がり、柔らかくたわみながら呼吸しているように見える。

 「PE管はいいな。金属のように疲労しない。まるで軟骨だ」

 「都市の骨格だよ」矢代が呟いた。

 「これが折れたら、どんな文明も息ができない」


 復圧から三時間後。

 東陽町の避難所にある炊き出し用仮設コンロに、試験用のガスが通された。

 佐伯が立ち会い、点火スイッチを押す。

 ――一瞬の沈黙。

 続いて、青い炎が小さく灯った。

 「着火確認! 圧力2.3キロパスカル、安定!」

 歓声が上がる。

 白い蒸気が立ちのぼり、味噌汁の匂いが風に混じる。

 唐木が笑った。

 「水が流れ、電気が灯り、火が戻った。これで東京は、生き返った」


 矢代は炎を見つめた。

 青く、静かで、規則正しい。

 それは文明の心拍そのものだった

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