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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2072/2235

第25章 《清浄圧の夜明け》



 夜の金町浄水場。

 再起動を告げるブザーが鳴ると、敷地全体が低い唸りに包まれた。

 空はまだ曇り、風にはわずかに潮の匂いが混じる。

 湾岸の津波が去ってから四週間、

 この巨大な“水の工場”は沈黙していた。


 矢代隆一中佐は制御棟の窓から、ゆっくりと夜景を見下ろした。

 広大な沈澱池の水面が、投光灯に照らされて銀色に光る。

 「原水ポンプ、起動」

 機械音が遠くから響いた。

 ポンプ室の床が微かに振動し、

 利根川の水が、再び都市へ向かって吸い上げられる。


 「取水圧、0.8MPa上昇。フロー安定しました」

 通信に佐伯俊の声。

 彼は今、急速ろ過棟にいた。

 「オゾン反応塔の酸素濃度、28%。

  オゾン濃度制御弁、開度15度。電極電流、正常」

 高圧電極で発生したオゾンが、

 灰色のガス管を通って水中に吹き込まれる。

 細かな気泡が水を白く染め、

 化学反応で有機物と匂いを分解していく。

 「反応時間、10分。続いて活性炭層へ」


 唐木慎吾顧問は活性炭再充填エリアに立っていた。

 黒い粒子が搬送ベルトの上を流れ、塔の上部からざらざらと落ちていく。

 「新炭充填率、85%。比重0.48。吸着能、規格内」

 かつて津波の塩水で炭層が凝固し、

 ろ過塔全体が“岩のように”固まっていた。

 それを全部砕き、乾燥させ、再装填するのに丸二週間。

 唐木は手袋を外し、黒い炭粒を指でつまんだ。

 「……生きてる。炭も呼吸してるな」


 深夜0時。

 処理水ラインに初めての水が通された。

 制御室のパネルに緑のランプが並ぶ。

 「浄水流量、1.2立方/秒。残留塩素、0.25mg/L。

  pH7.2、濁度0.03度、電気伝導率350μS/cm」

 佐伯が声を上げる。

 「すべて正常値! 浄水ライン、復活です!」

 矢代は静かに頷いた。

 「では、配水池へ送れ。――東京に“飲める水”を戻す」


 大型の送水ポンプが動き出す。

 直径2メートルの鋼製送水管に、水が押し込まれていく。

 振動が地面を伝い、深夜の空気に重く響く。

 その先――代々木、高輪、白金の配水池へ。

 SCADAのマップ上で、青いラインが再び点を結んでいく。

 「水頭圧、1.4MPa。流量正常」

 「配水ブロックA、開弁開始」


 遠くの住宅地。

 停電で沈んでいたアパートの一室。

 非常灯の下、避難帰還者の女性が蛇口を回した。

 カラン、と乾いた音。

 しばらくの沈黙。

 そして――細い水流が、静かに流れ出す。

 透明で、冷たく、ほんの少し金属の匂い。

 彼女は思わず両手で水をすくい、そのまま頬を濡らした。

 「……水、戻ったんだ」


 同じ瞬間、制御室では唐木が計器を見つめていた。

 「水質センサー、異常なし。AI解析値、適正範囲。

  東京水、飲用復帰」

 矢代は黙って立ち上がった。

 窓の外、広い沈澱池の向こうで朝が始まっている。

 東の空が、わずかに青く染まり始めていた。


 唐木が帽子を脱ぎ、静かに言った。

 「これで東京は、また“水の都市”に戻ったな」

 矢代は頷いた。

 「光も、電気も、言葉も――すべてはこの一滴の上に成り立っている」

 沈澱池の水面に朝日が映り、ゆらめく光が制御塔の壁を照らす。

 それはまるで、再生した文明の“初めの鼓動”のようだった。

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