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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2067/2187

第20章 《海底の変電所》



 津波が引いてから、もう二週間が経っていた。

 東京湾岸の街は、まだ「半分が海」のままだった。

 有明、豊洲、芝浦――すべての地面が、薄い塩膜で覆われている。

 建物の1階部分には海藻が貼りつき、街路樹は塩害で黒く枯れていた。

 そして地下には、電力の神経網が沈黙していた。


 矢代隆一中佐は、胸まで水に浸かりながら共同溝の入口を見下ろした。

 「ここが、有明第七変電所へのアクセスルートか」

 隣にいた佐伯俊技師がうなずく。

 「はい。地震のあと、津波で完全に水没。送電ケーブルも変電ユニットも塩水にやられています」

 「排水ポンプは?」

 「全滅です。手動ポンプで水位を下げてから、潜入します」


 彼らの後ろでは、仮設のディーゼル発電機が唸りを上げていた。

 津波で倒壊した湾岸幹線の代わりに、臨時の“電気の点滴”が設けられている。

 ホースのように太いケーブルが、仮設送電盤から共同溝の奥へと続いていた。


 「中の塩分濃度は?」

 「NaCl換算で2.7%。ほぼ海水ですね。絶縁どころか、導通状態です」

 「……つまり、電気を流した瞬間に爆ぜる」

 矢代は短く息を吐いた。

 「乾かすしかないな。火を使わず、風と時間で」


 作業員たちはポンプを稼働させ、濁った水を地上のタンクへ送り出していく。

 濁流の中には、ケーブル被覆の破片、鉄錆、ガラス片、そして海の泥。

 有明の地下は、まるで死んだ臓器の中のようだった。

 壁には「東電PG有明線 No.6」のプレート。

 その下には、白く結晶化した塩が、冬の霜のように付着している。


 「酸素濃度、OK。降ります」

 佐伯がロープを握り、慎重に地下へ降りていく。

 ランプの光が水に反射し、天井にゆらめく波紋を描いた。

 「……まるで海底遺跡だな」

 唐木慎吾顧問の声が無線から聞こえる。

 「三十年前、俺が設計した配電トンネルが、いま海の底とはな」


 地下十五メートル。

 水位は膝下まで下がったが、床はまだぬかるみ、塩水が滴っていた。

 銅導体は白く酸化し、被覆は膨張して裂けている。

 佐伯はマルチメータを当て、端末に値を送る。

 「導通値ゼロ。……完全に死んでます」

 「ケーブル再敷設しかないな」

 「はい。ただし、共同溝全長3.2キロを全部張り直すには、最低でも一ヶ月」

 「一ヶ月も光を止めておくわけにはいかん」

 矢代は腕時計を見た。

 「変電器の鉄心は生きてるか?」

 「確認中です」


 唐木が地上のテント内でノートPCを叩く。

 「SF₆ガス系のGISユニットは内部絶縁が保たれてる。奇跡だ。津波圧でも破裂しなかった」

 「だったら心臓はまだ動くな」

 「問題は血管だ。銅が腐ってる」

 「アルミ導体に切り替える」

 「おい、あれは腐食しやすいぞ」

 「海水でやられた銅よりマシだ。……一本でも流せば、そこからまた光が走る」


 夜明けが近づく。

 東の空がわずかに灰色を帯び、海水に反射して鈍く光る。

 作業員たちは肩まで泥に浸かりながらケーブルを引き出していく。

 一本あたりの重さは150キロ。

 まるで死体を運ぶような重さだった。

 「三番ケーブル、交換完了」

 「絶縁テスト、良好!」

 矢代が叫ぶ。「次、接続!」


 圧着スリーブが火花を散らし、接点からわずかな白煙が上がる。

 湿気が残る空気を、オゾンの匂いが満たした。

 「電流、テスト開始!」

 ケーブルの中を、初めての電流が通り抜ける。

 その瞬間、塩水が微かに泡立ち、空気が鳴いた。

 「一次通電、成功!」

 唐木の声が無線越しに響いた。

 「……これで湾岸が生きる。ほんの10メガワットでも、生命維持には十分だ」


 矢代は水中に沈むケーブルを見下ろした。

 黒く光る蛇のようなそれが、確かに脈動していた。

 「光が戻るのはいつだ?」

 「あと六時間。最初は港湾病院、その次に排水ポンプ群」

 「よし。順番を間違えるな。生き物も都市も、まずは心臓からだ」


 地上の空に、朝の光が差し込む。

 遠くの湾岸ビルの屋上で、一つだけ非常灯が灯った。

 それは海に沈んだ都市が、再び呼吸を始める最初の瞬きだった

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