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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2065/2187

第18章 《変電所 ― 鉄の心臓を動かせ》



 霞ヶ関地下三十五メートル。

 そこは「都市の心臓」と呼ばれる空間だった。

 四方の壁には鋼鉄製の配電盤が並び、直径三メートルのトランスが四基、整然と鎮座している。

 しかしその心臓は、九ヶ月間止まっていた。

 油が乾き、絶縁ガスが抜け、銅線は静脈のように沈黙している。


 唐木慎吾はヘルメットのライトを上げ、天井を見上げた。

 「……やっぱり、ここも水をかぶったな」

 鉄骨の梁に、塩分を含んだ結晶が白く残っている。

 海風と津波が地下通風孔から入り込んだ痕跡だ。

 「潮気が残ってりゃ絶縁は死んでる」佐伯が言う。

 「再起動前に乾燥させるしかない」

 「熱風循環、開始」

 矢代中佐の指示で、送風ダクトが唸りを上げる。

 大型ヒーターが作動し、50度の熱風が鉄の心臓を包み込む。


 この変電所は、275キロボルト→66キロボルトへの降圧を担う「中間心臓」だ。

 東電PGの南北幹線から受けた電気を、霞ヶ関・丸の内・永田町の各配電ルートに分配する。

 だが、地下のGIS(Gas Insulated Switchgear:ガス絶縁開閉装置)が機能を失えば、

 電力はどんなに流れても、都市の上には届かない。


 唐木はパネルの前に立ち、目を閉じるように呟いた。

 「電気は血液だ。変電所は心臓。トランスは弁、開閉器は拍動のリズムだ。

  この拍動が止まると、都市は呼吸を忘れる」

 彼の声に誰も笑わなかった。

 誰もがそれを事実として知っていたからだ。


 「ガス圧確認!」

 佐伯が報告する。

 SF₆ガス(六フッ化硫黄)充填タンクが低く唸りを上げ、透明なホースが振動する。

 「圧力0.5メガパスカル、規定値内。絶縁良好」

 「スイッチギア、セクションA接続」

 カチン――金属が噛み合う乾いた音が響いた。

 その一瞬、誰もが息を止めた。


 唐木が手元の計器を見つめる。

 電流はまだゼロ。

 矢代が時計を見た。「一次送電試験、0600開始。あと三分」

 その間、空間を満たすのは金属の匂いと、冷却油の独特な甘い臭気だった。

 壁際の制御パネルには赤い警告灯がずらりと並び、まるで沈黙した都市の心電図のようだった。


 「――行け」

 矢代の一言で、メインブレーカーが投入された。

 轟音。

 圧縮ガスが弁を通り抜け、空気が震えた。

 次の瞬間、トランスが低く唸り始める。

 銅コイルの中を電流が駆け抜け、冷却油が細かな波紋を立てる。

 「一次側電圧、安定。二次側66kV出力確認」

 佐伯の声が震える。

 メーターの針が静かに動き出した。

 唐木は息を吐き、ゆっくりと手袋を外す。

 「……動いた。心臓が打ったぞ」


 だが次の瞬間、天井の警報灯が赤く点滅した。

 「冷却ユニットC、温度上昇!」

 「冷却油が循環してない!」

 「ポンプ系統にエア噛みだ!」

 矢代が駆け寄り、緊急遮断弁を開放。

 空気が抜ける音がして、油が再び流れ出した。

 温度計の針がゆっくりと下がる。

 沈黙。

 唐木は額の汗を拭き、冷たい笑みを浮かべた。

 「心臓の鼓動ってやつは、最初はいつも不整脈なんだ」


 変電所の照明が次々と点き始める。

 白い光が鉄の壁に反射し、闇が後退していく。

 数ヶ月ぶりの“人工の昼”が地下に戻ってきた。

 矢代は言った。

 「ここが動けば、霞ヶ関全域が息を吹き返す」

 佐伯が頷き、制御盤に手を置いた。

 「送電確認。出力電流、標準値。安定しています」

 唐木は黙って天井を見上げた。

 鉄と電流の間を通して、地上の街の影が見える気がした。


 「電気ってのはな、見えないまま、全部をつないでる。

  人間の記憶も、通信も、希望も、ぜんぶこれの上に乗っかってる」

 唐木の声は静かだった。

 矢代は短く答えた。

 「じゃあ、もう一度動かそう。――都市を」


 そのとき、遠くの壁面で緑のランプが点いた。

 【霞ヶ関第三区 電力供給開始】

 メインモニターに波形が浮かび、トランスの鼓動音が安定する。

 唐木は深く息を吸い、言った。

 「心拍、安定。……首都の心臓、再始動だ

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