第17章 《共同溝 ― 電の動脈をつなぐ》
午前三時、霞ヶ関共同溝。
地下二十メートルの空間は、まだ夜の温度を抱えたままだった。
鉄筋コンクリートの壁に取り付けられたケーブルラックが、無数の蛇のように走っている。
それぞれが太さ十センチの黒いケーブル。
高圧送電線、275キロボルト級――首都の大動脈だ。
作業員がヘッドライトをかざすと、金属の鱗のような被覆が鈍く光った。
被覆の中は、三層構造になっている。
銅導体を囲む絶縁層、その外にアルミシース、さらに外側は耐火ポリエチレン。
一本のケーブルで三相交流を構成し、三本で一回路を担う。
その一本が断たれれば、東京の半分が沈む。
矢代隆一中佐は、崩落した配線区画を見下ろした。
「ここが南東京幹線の支線接続部か」
「はい。変電所からの送電ルートがここで三分岐してます」
佐伯技師が答える。
図面を照らすライトの光が震えていた。
「幹線は地下15mから30mまで三層で通ってます。
最上層が配電幹線(66〜154kV)、中層が送電幹線(275kV)、最下層に500kVの本管。
この共同溝は“中層ライン”です」
「つまり、ここが都市の血圧を保つ心臓部ってわけか」
「ええ。ここが生きていれば、首都は再び脈を打ちます」
作業灯の光が、壁面の銘板を照らす。
《東京電力パワーグリッド 南東京幹線No.3 管理区画 建設:1987年》
唐木顧問がそのプレートに手を当てた。
「この溝を設計したのは、もう三十年以上前だ。
だが当時から“戦争にも耐える都市”を意識してた。
二重配線、環状給電、止水扉。……まさか本当にその想定が試されるとはな」
奥の壁面で、若い作業員が絶縁ケーブルの端を剥離していた。
中から現れたのは、蜂蜜色に輝く銅線の束。
光を反射して脈動しているように見える。
「導体、損傷率二割。再利用可能です」
「再圧着でつなげ」矢代が命じる。
作業員が端面を削り、圧着スリーブを装着。
トルクレンチで締めると、金属がわずかに軋んだ。
その隣で、佐伯が測定器をセットする。
携帯型局部放電試験機――ケーブル内部の微細な破断を検知する装置だ。
液晶画面に波形が現れ、ノイズが走る。
「……まだ中で放電してる。絶縁破壊寸前だな」
唐木が低く言う。「オイル循環が止まってる。冷却ポンプが死んでるんだ」
「補助ラインで油圧を送る。地上のタンクから手動で回せ」
矢代の命令に応じ、上層のポンプ車が作動を始める。
圧送油の流れる音が、低い地鳴りのように響く。
その振動の中で、佐伯がケーブル表面に手を当てた。
「温度、三十五度。……生き返ってきた」
銅線の中をわずかな電流が走り、赤外線スコープに淡い光が浮かぶ。
唐木が笑った。「電気ってのは、心臓マッサージと同じだ。
少しでも流れが戻れば、全身に信号が走る」
だが、完全な復旧まではまだ遠い。
矢代は図面を見下ろす。
「上層の154kV配電管も繋ぎ直す必要があるな」
「はい。ただ、あそこは狭い。電線が入り組んでて再敷設には二日かかる」
「時間はない。幹線優先だ。脳を先に動かせば、末端は後からでも生きる」
佐伯が頷く。「送電幹線、復旧試験を行います」
緊張が走る。
高圧電流が再びこの地下に流れれば、空気中の水分でアークが走る可能性がある。
全員が防爆ヘルメットのバイザーを下ろした。
「送電ルート、南東京→霞ヶ関区間、開通準備」
「絶縁抵抗値、良好」
「異常なし――」
「一次送電、開始!」
次の瞬間、地下の闇が震えた。
トランスのコアが低く唸り、壁を通して振動が伝わる。
ケーブル内を走る電流が、微かに青白い光を放った。
音もなく、しかし確かに“命”が流れていた。
唐木が呟く。「これが都市の鼓動だ。地上の灯りは、ここの呼吸でしか生きられない」
矢代は無言で頷く。
遠くの計器盤で、緑のランプが一つ、二つと点いていく。
数ヶ月ぶりに、首都の電の血流が戻り始めていた