表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン16
2062/2200

第15章《都市ガス幹管 ― 火を戻す》



 夕暮れが近い。

 霞ヶ関地下二十五メートル、第3ガス幹線制御区画。

 通称「ガス聖堂」。その名の通り、巨大なパイプ群が並ぶ空間は、まるで金属の大聖堂のようだった。

 厚さ10センチの鋼管が幾重にも枝分かれし、壁面には圧力計と安全弁が無数に並ぶ。

 今夜、九ヶ月ぶりに“火”を戻す――誰もがそれを理解していた。


 主任技師の唐木は、腕時計を見た。

 「18時15分、一次バルブ開放。圧力上昇0.2メガパスカルごとに確認」

 ヘルメットの通信機に声が響く。

 『了解、中央制御応答。圧力監視開始』


 唐木の背後では、衛生兵と消防班が待機していた。

 可燃性ガスの漏出を検知すれば即座に封鎖するためだ。

 防爆灯の下で、作業員たちは一様に黙り込んでいた。

 空気は乾燥しており、わずかな静電気でさえ爆発の引き金になる。


 「主弁、開放三段階まで。慎重にいけ」

 「了解!」

 金属の軋む音とともに、巨大なハンドルがゆっくりと回される。

 遠くで低い唸りが響く。ガスが流れ始めたのだ。

 鋼管の中を空気が押し出され、圧力波が壁を伝う。

 誰もが息を止めた。


 「圧力0.8メガパスカル、安定」

 唐木は眉をひそめた。「まだ低い。二段階へ」

 作業員が慎重にバルブを開く。

 メーターの針が震えながら上昇していく。

 「1.2……1.5……」

 その瞬間、微かな音がした。

 カツン、と壁のどこかで金属が弾ける。

 全員が動きを止める。

 「漏れか?」

 「ちがう、エアトラップだ。空気抜けだ」

 唐木は深呼吸し、マスク越しに呟いた。「続行」


 再加圧試験は、戦場のような緊張に包まれていた。

 目に見えない“気体の力”が、管の中で暴れる。

 圧力計の針が2.0に達し、安定線に乗った瞬間――

 唐木は小さく頷いた。

 「よし。流量、規定値。……これで、火を戻せる」


 照明が落とされ、空間が暗くなる。

 中央の試験炉の上に、一本の細いガス管が伸びている。

 その先端に、青い着火装置が設置されていた。

 全員が見守る中、唐木がスイッチを押す。

 「点火——」


 カチリ。

 微かな火花が散り、次の瞬間、小さな青い炎が静かに灯った。

 音はない。

 だが、その光は地下空間を淡く照らし出す。

 高温の炎が揺れ、壁面の計器の影が微かに震える。


 誰も言葉を発しなかった。

 長い間、沈黙していた東京に、ようやく“熱”が戻った。

 唐木はゆっくりと膝をつき、炎を見つめた。

 「……戻ったな」

 その声は、独り言のように低く、しかし確かな実感に満ちていた。


 消防班の一人が、思わず口を開く。

 「これで、飯が炊けますね」

 唐木は笑った。「ああ。湯も沸かせる」

 「風呂もです」

 「そうだ。風呂もだ」

 小さな笑いが広がった。

 その笑いは、長い絶望の底から湧き上がる人間らしい音だった。


 唐木は炎を見つめながら呟く。

 「電気は理性だ。水は生命。通信は記憶。そして火は……意志だ」

 青い光が彼の瞳に映る。

 それはただの炎ではなかった。

 都市が再び“人間の熱”を取り戻す瞬間だった。


 やがて制御卓に報告が入る。

 『ガス供給圧、安定。区域再点火完了。——これにて、都市ガス幹管、復旧確認』

 唐木は立ち上がり、敬礼した。

 「おつかれさん。……これで東京は、ようやく“生き返った”」


 地下の炎は小さく揺れ続けていた。

 それは、冷たい鉄の都に宿る、最初の心臓の鼓動のようだった

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ