第13章 《通信管路 ― データの再接続》
地上ではまだ信号が点かない。
霞ヶ関一帯の街灯も、電子掲示板も、沈黙したままだ。
地下二十メートル、共同溝の中。幅2メートル、高さ2.5メートルのコンクリートトンネルを、光ファイバーケーブルのリールがゆっくりと転がっていく。
湿った空気に埃と焦げたプラスチックの臭いが混ざる。
靴底が油混じりの床を踏むたび、ぬるりとした感触が残る。
通信班の作業員は6名。全員、防水服とヘッドランプ、携帯型酸素計を装備している。
班長の中塚は声を張り上げた。
「測距レーザー確認! L2区画まで残り四百二十!」
「了解!」
声は反響し、コンクリートの壁を這って消えた。
焼損した旧通信管の表面には、黒い煤がこびりついている。
ところどころ、爆風で押し潰されたケーブルが蛇のように絡み合っていた。
作業員が電動カッターで古いケーブルを切断すると、焦げた絶縁体の臭いが立ちのぼる。
「こっち、生きてる線はないです」
「いい、全部切れ。新設で引き直す」
中塚はリール車の側で膝をつき、ケーブルの先端を慎重に取り出した。
被覆は灰色のフッ素樹脂。中には細い光ファイバーが数十本束ねられている。
「芯線確認。64芯、マルチモード。OKだな」
彼は端末を取り出し、ケーブル識別タグをスキャンした。
端末の画面には「霞ヶ関第一区・通信幹線 No.3」と表示される。
この一本が繋がれば、官邸跡地下、復興庁の指令回線が再生する。
「敷設開始!」
掛け声とともに、作業員たちはリールを回した。
黒いケーブルが滑車を通り、トンネルの奥へと吸い込まれていく。
足元のケーブルが張るたび、床の水が波打つ。
「引き速度、一定に! テンション2.0でキープ!」
「了解!」
緊張した声が交錯する。
前方では、光ファイバーを保護するための“ジャケットパイプ”が設置されていた。
中塚は工具ベルトからエポキシ系の接着剤とトルクレンチを取り出す。
「ここ、圧着トルク32。過ぎたら割れるぞ」
「了解」
若い整備員がレンチを回す。微かな音。
「……止め!」
「トルクOK」
光ファイバーは次第にトンネル奥まで伸び、最終区画で“融着接続”が行われた。
作業台の上に小型の**融着機(FSM-70S)**が置かれる。
技術員の手元で、細いガラス線がピンセットで合わせられ、微電流が流れる。
「アークオン」
細い青白い閃光が走り、わずかな硝子臭が漂う。
接続部は熱収縮スリーブで保護され、透明チューブの中に気泡ひとつ残らない。
中塚がモニターを覗き込み、低く呟いた。
「損失0.01dB。理想値だ」
次に、光テスターが接続される。
画面に“シグナル検出”の文字。
全員が息を呑んだ。
「通った……」
若い整備員が呟いた。
「本当に光が来た……」
その瞬間、上空の霞ヶ関地下制御センターに設置されたモニターが一斉に点灯した。
黒い画面が白く輝き、中央に小さな文字が浮かぶ。
【通信幹線No.3:接続確認】
復興庁本部から“ピン”という信号音が届く。
九ヶ月ぶりに、霞ヶ関地下と外部世界を結ぶデータ回線が再生した瞬間だった。
中塚はマスクを外し、湿った空気を大きく吸い込んだ。
「……これで、声が戻る」
白井が小さく頷いた。
「電気と水があっても、話せなきゃ人は死ぬんですね」
「そうだ。沈黙は、孤立と同じだ」
その時、トンネルの奥で別の班員が叫んだ。
「映像、来ました! 本庁の監視カメラ、生き返ってます!」
全員の視線がモニターに集まる。
画面の中に、崩れた議事堂のシルエットと、朝の薄明かりが映っていた。
誰も言葉を出さない。
中塚は静かに目を閉じた。
「……これが“生きている都市”の証拠だ」
通信が戻ったとはいえ、街の上にはまだ信号ひとつ灯っていない。
だが、この地下の光こそが、再生の第一声だった。
データが流れる——人々の声、命令、希望。
それはまだ細い一本の光の糸だが、確かに“都市の神経”は蘇り始めていた