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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2045/2172

第201章 《二重の見ること》




 絵が乾いた。

 太陽はすでに西の稜線にかかり、浜の砂は影の温度を帯びていた。

 葵はしばらく黙って、絵と、タブレットと、目の前の海を見比べていた。

 それは、まるで「三つの風景」が同時に存在しているかのようだった。


 ひとつは――現実の海。

 刻々と色を変える水面、風にちぎれる雲、耳元を過ぎる湿った空気。

 ひとつは――液晶に映る海。

 撮影された時点で停止し、変化のない明晰な色の層。


 そしてもうひとつは、

 ――葵の内側にだけ存在する、目をつぶったときにだけ浮かぶ海。


 目を閉じる。

 その瞬間、目の前の海も、画面も消える。

 だが、消えたはずの海は、心のどこかに“映っていた”。

 それは、「知っている」というより「感じていた」色だった。

 明確な形はなく、境界も曖昧で、揺れと匂いと音が混じっていた。


 記憶のなかの海は、絵具では作れなかった色に満ちていた。

 ローズマダーとセピアを少し混ぜても、あの“夕暮れの重さ”は再現できない。

 パーマネントイエローで光を描いても、“肌に感じたまぶしさ”は紙には残らなかった。


 それでも葵は、知っていた。

 その“描けなかった色たち”が、

 目を閉じたときにだけ、ありありと立ち上がることを。


 目を開けて、絵を見る。

 描いたつもりのものと、実際に描けていたものの差が浮き彫りになる。

 だがその“差”こそが、今の自分の知覚なのだと思った。


 液晶の画像は、目を閉じても再現できなかった。

 細部が正確すぎて、記憶に定着しなかった。

 でも自分の描いた絵は、目を閉じたとき、色と匂いと一緒に“浮かび上がってきた”。


 つまり――

 心の中で見る“風景”と、実際に目で見る風景の“ずれ”こそが、視覚なのではないか。


 絵は、それを記録しようとする「試み」だ。

 成功ではなく、過程。

 誤差であり、余白であり、失敗であり、発見。


 液晶は、そうした“揺れ”を排除する。

 常に明確で、確定していて、ブレがない。

 だが、その明確さの中には、「見ることの迷い」が存在しない。


 葵は、風景をもう一度見て、そしてもう一度、目をつぶった。

 そのまぶたの裏に、今日描けなかった影が立ち現れた。

 午前中に感じた湿気、正午のまぶしさ、夕暮れの砂の温度。


 目を閉じているのに、“風”が見えた。

 目を閉じているのに、“描かなかった色”が浮かんだ。

 それらは、紙にも画面にもなかったけれど、

 自分の中には確かに“在った”。


 「見ることって、目だけのことじゃないんだな」


 葵はゆっくりと、スケッチブックの表紙を閉じた。

 パネルのスリープボタンに指を添えると、画面がふっと暗くなった。


 目の前の海は、相変わらずゆっくりと動いていた。

 夕日が、彼女の絵と画面と顔と、すべてに等しく光を投げかけていた。


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