第200章 《映らなかったもの》
夕方に差し掛かった海は、光を失ったわけではなかった。
むしろ、朝よりも“深く光っていた”。
空は静かに淡くなり、水平線の輪郭が鈍くなる。
液晶画面に映る午前の写真は、もはや“違う世界の断片”のように感じられた。
風がまた吹いた。
さっきより冷たく、湿っていた。
葵は袖を引き寄せて首元を覆った。
肌の上に“空気の重み”が乗る。それは、どんなカメラにも映らない。
絵の具はもう乾いていた。
だが、ところどころに“湿った感覚”が残っていた。
紙の繊維の奥に入り込んだ絵具の粒子が、かすかにざらつく。
筆でのばした痕が、光に対して“角度を持った記憶”のように浮かぶ。
それは、画面には存在しない“厚み”だった。
画面の画像は、常に一定の光を発し続ける。
水彩紙は、光を受け取り、それを角度と時間に応じて返してくる。
まるで、絵そのものが“環境と会話している”ようだった。
描いたはずの色が、時間の中で変わっていく。
午前中に塗ったグリーンアースは、陽が落ちてくると、少し青く見えた。
空のグレーは、温かみを増し、ローズマダーが光の端でほのかに滲む。
これは、タブレットでは再現できない色彩の“呼吸”だった。
葵は思った。
「色って、乾いた後も生きてるのかもしれない」
彼女は、タブレットの画面をもう一度見た。
そこには、完璧な海が映っていた。
でも――そこにいたのは「風景」だけだった。
画面には、
- 手のひらの砂のざらつきも、
- 頬をかすめた潮の香りも、
- 塗っている最中の“失敗の戸惑い”も、
映っていなかった。
絵の中には、映っていた。
たとえば、空の上部に残った白のにじみは、本当はローズマダーが流れすぎて思わず拭き取った痕だった。
でもそれが、いま見ると、風が雲を引き裂いたような跡に見えた。
液晶は、そういう“偶然”を持っていない。
写真は、すでに完成されている。
だが、水彩は、完成される前の“流動”を内包していた。
絵には、**“描かれなかった風”**が、むしろ強く残っている気がした。
それはたとえば――
・描こうとして諦めた水平線の歪み
・風で滲んだブームの縁の色
・不意に紙の下に入った小石の影
それらは、絵として“描かれた”わけではない。
でも、そこに“あった”という気配が、確かに沈殿している。
葵は、それを「映らなかったもの」と名づけた。
絵が、風を記録している。
自分の感情、迷い、塗り重ねの躊躇までを――
タブレットの中の写真は完璧だった。
だが、それは誰が見ても同じ“情報”だった。
この絵は違う。
自分にしかわからない“失敗と試行”の層が、光に沈んでいる。
「見えるものだけが、記録じゃないんだ」
葵はそう呟いた。
“見えなかったもの”が、
“描かれなかったもの”が、
いちばん強く絵に残っていた。