第198章 《紙とパネルのあいだ》
午後の光が、海の上に筋を引いていた。
風は静まったようでいて、ときおり砂を巻き上げた。葵の足元に置いたパレットの水面に、小さな塵が一つ落ちる。
それが波紋になって広がるのを、葵は眺めていた。
絵具の粒子が、塵とともに回転し、やがて沈殿する。まるで“色が時間の底に沈む”ようだった。
葵は筆を置いた。
描きかけの紙は、部分的にまだ濡れている。乾きかけの縁に、新たな筆を入れると、境界線が滲んで崩れる。
水彩画では、それが「事故」であることも、「奇跡」であることもある。
紙は、呼吸していた。
濡れている部分と乾き始めた部分が、光を違えて返す。
絵具は沈み、水分は蒸発し、紙の繊維が波打つように膨らんでいた。
その光景を、葵は手元の液晶パネルと比べた。
画面の中では、海も空も“永遠のまま”に停止している。
解像度は高い。発色も正確だ。
だが、その色は動かない。
粒子も、乾きも、沈みもない。
そこには「時間」がなかった。
水彩紙の上では、色が“落ち着いていく”プロセスがあった。
ウルトラマリンの粒子が紙の凹凸に溜まり、バーントシェンナが光を吸い、グリーンアースが縁を滲ませる。
それらは混ざり合いながらも、分離しながら沈んでいく。
それは、“風の余韻”のようでもあり、“呼吸の記録”のようでもあった。
「画面の色は、どこに重なってるんだろう……」
葵はぼそりと呟いた。
液晶パネルの色は、レイヤーを持っているのだろうか?
それとも、全てが“同一平面の光”なのだろうか?
葵は指先で、まだ湿った紙の角を触れた。
冷たかった。水が蒸発する温度差が、指に伝わる。
風景を描くという行為は、この冷たさを通じて行われているのだと知った。
液晶は、温度を持たない。
どれだけ鮮やかな色であっても、それが“濡れている”とか、“乾いていく”という気配を伝えることはない。
色というのは、単に波長のデータではない。
皮膚に触れる空気、蒸発する水、粒子の密度と、沈黙の時間――それらすべてが“色の実体”なのだ。
絵の左端に描いた岩場のあたりで、にじみが予想よりも広がっていた。
にじみの中心は、わずかに白が残っていた。
葵はそれを、修正しなかった。
それは、“風の抜け道”のように見えたからだ。
液晶の画面は、完璧だった。
写真は失敗しない。露出補正も、ホワイトバランスも、すでに最適化されていた。
だが、それは“間違えることのない世界”だった。
葵の絵は、間違いだらけだった。
思ったより濃くなった色、にじんでしまった空、乾きすぎて固まった筆跡。
それでもそこには、葵が何を見ようとしていたのかが残っていた。
写真は「見えたもの」を記録する。
絵は「見ようとしたもの」が残る。
葵にとって、その違いは重要だった。
「絵は、描きたかった“風”の手がかりみたいなものなんだと思う」
手元の絵に指をかざすと、まだ冷たさがあった。
それは、今この場所でしか生まれなかった温度だった。
紙とパネルのあいだ。
色はどちらにもあった。だが、
質量があったのは、紙の上の色だった。