第197章 《写真にはない風》
葵はタブレットの画面を見つめた。
昨日撮った、まさにこの入り江の風景が、すました顔で収まっている。
雲のかたち、水平線の位置、波の模様すら記録されていた。けれど、何かが抜け落ちていた。
それは風だった。
風の“動き”ではない。風そのものの“気配”――その、視覚には写らない揺らぎが、画面には存在しなかった。
葵は筆を洗い、ウルトラマリンディープとイエローオーカーをパレットで合わせ始めた。
その混色は、海の色になるはずだった。だが、タブレットに映っている「青」よりも、どこかくすんでいて深かった。
少しずつローズマダーを加える。わずかに紫がかる。
その色は、“昨日の写真”にはなかった色だった。
けれど、目の前の波間には、まさにこの色が揺れていた。
斜めから吹きつける風が水面をざらつかせ、太陽の光を微細な乱反射に変える。
葵はその瞬間、画面を見ずに筆を紙に置いた。
にじみが広がった。
紙が濡れていたのだ。先ほどの空を描いた湿りが、まだ完全には乾いていなかった。
水彩特有の“意図を超えた色の動き”が、青と赤と黄を含んだその一筆を、勝手に“風に乗せたような模様”へと変えていく。
タブレットの画面は完璧だった。
彩度もコントラストも高く、エッジはくっきり。
それに比べて、葵の描く水彩画は、すべてが曖昧だった。
線はにじみ、境界は滲み、色は重なるごとに“沈んでいく”。
でも、それが――風に近かった。
そもそも、風を描くことはできるのだろうか?
かつて祖母にそう尋ねたことがある。
祖母は答えた。
> 「風は描けない。でも、風が通ったあとの草なら描ける。風に気づいた誰かの顔なら描ける」
葵はその言葉を思い出しながら、絵具皿の中にできた濁った水の表面に浮かぶ、青緑の膜を見つめた。
それは海だった。
だけど、液晶には絶対に出ない色――顔料の粒子が偏って沈むことでしか生まれない“揺らいだ色”だった。
風が強まった。
画面の明度が一瞬落ちた。液晶表面に太陽光が直撃し、見えにくくなったからだ。
でも、海はそのとき、最も美しく光っていた。
葵は画面を見るのをやめた。
風の音と波の跳ねるリズムの中で、筆先の色を微調整する。
青と黄のバランス、濃度、紙の濡れ具合――すべてが“現在”に反応していた。
風が見えない代わりに、紙の上では風が“にじんでいった”。
にじみは制御できない。紙の繊維と水の速度に、葵の意思は割って入れない。
でもその不確定さが、今この瞬間の風の“存在”を保証する何かに思えた。
液晶には、風の“結果”がなかった。
波が“止まって”いたからだ。
でも目の前では、波が一度ごとに光を変え、色を溶かし、空気を動かしていた。
葵は気づいた。
「描く」という行為は、止まっていないものに触れようとする試みなのだ。
絵の中に、少しずつ“風の色”が溜まっていく。
それは青ではなく、灰緑でもなく、むしろ「曖昧な何か」だった。
だが、描いているうちに、葵の身体がその“曖昧さ”を許容し始めているのを感じた。
「風は描けないけれど――風の抜けた跡なら、残せるかもしれない」
そのとき、風が画面を揺らした。
画面の中の波が、まるで“嫉妬したように”青を強めた気がした。
でもそれは、静止画だった。
絵の中で、風はにじみ、紙はまだ濡れている。
筆を置いたとき、葵は知っていた。
液晶にはない風が、ここにはある。