第196章 《映像の中の海、目の前の海》
海辺の風が、いつもよりも低い音で鳴っていた。
まだ昼なのに、光は傾いている。葵は浜辺にシートを広げ、スケッチブックとパレット、そして小さなタブレット端末を置いた。画面には、昨日ここで撮った海の写真が映し出されている。
水平線はまっすぐに伸び、海は透き通るような青に整っていた。雲はきちんと輪郭を持ち、陸地は薄い灰色で収まっている。
けれど今、葵の目の前にある海は、そのどれとも違っていた。
風が斜めに吹き、水面がざわめき、陽の角度で一瞬ごとに色が変わる。
同じ場所で、同じ方角を向いているはずなのに、海は“同じではいられない”というふうに揺れていた。
「青……じゃない」
葵は呟く。
いや、青いのかもしれない。だが、それだけでは足りない気がした。
液晶の中では“青い”と断言できた風景が、目の前の空間では“青い”と呼ぶことすらためらわれる。
水彩用紙に手を伸ばす。
今日の紙は中目、サイズはF4。
風があるから、四隅を小石で押さえた。
ペットボトルの水を白磁の皿に注ぎ、筆に含ませる。
まずは紙を濡らす。ウェット・イン・ウェットで空の色からにじませたい。
紙が水を吸い始めると、表面の光がわずかに鈍くなる。
手元のパネルの画面にも、同じ空が映っていた。だがそこには、水の重さも紙の毛羽立ちもない。
液晶の色はきれいすぎた。正確すぎた。だが、それは**“止まっていた”**。
目の前の空は、決して止まっていなかった。
風で雲が裂け、陽が一筋だけ強くなる。すると、その光が海面に跳ね返って銀色の筋をつくる。
その瞬間の色は、写真にはない。
そして、水彩のパレットにもまだない。
葵は、ウルトラマリンとバーントシェンナをほんの少し混ぜ、グレーに近い青を作る。
それでも足りない。もう少し赤みが欲しいと思い、ローズマダーをほんのわずかに足す。
その色は、写真の空の青とはまるで違ったが――今、目の前の海に落ちていた“ある瞬間”の光には近い気がした。
タブレットの写真は、動かない。
そこにある色は確かで、きれいで、安心感すらある。
けれど、葵はそれを“見て”いるという感じがしなかった。
むしろ、そこから“切り離されている”気がした。
「見るって、何だろう?」
風が紙をめくろうとする。小石を置き直す。
その手の動作、重み、紙の水気、陽光――
そういったものの全てが、“見ること”に含まれているのではないか、とふと思う。
筆を置いた。
最初の空を描き終え、にじみが落ち着くのを待つ間、葵はもう一度画面と風景を見比べた。
画面の海は“鮮明”だった。だが、どこか乾いていた。
目の前の海は、色の境界が曖昧だった。けれど、そこに**“風の気配”があった**。
その違いを、なんと表現すればいいのだろう。
写真は“見るために作られた”。
けれど、この風景は、“見られるために存在している”わけではない。
風が強くなってきた。パレットの水面が揺れ、空の色がそこに映り込んだ。
葵はその色を、紙に写そうとは思わなかった。
むしろ、“揺れたということ”を残したかった。
「どう描けばいい?」
液晶に聞いても、答えは返ってこない。
波長のデータは、にじみや風の重さを教えてくれない。
だから葵は、紙と空の間で、“今だけの色”を探すしかなかった。