第195章 風を描く支度》
山の端に朝の光が届くよりも早く、葵は筆洗バケツを洗い終えていた。
寺子屋のある建物は、廃校になった小学校の校舎をリノベーションしたもので、分厚い木の扉の上に小さく「第四分校」と書かれていた。今では誰もその名前で呼ばない。皆《新寺子屋》とだけ言う。
新寺子屋の教室は、ひとつの大きな円形スクリーンと、壁際に並ぶ端末と、そして中央の古い黒板で成り立っている。
その朝の授業は《フクロウ》と名乗るAI教師が、「見るとは何か?」をめぐって、こんな問いを出していた。
「目で見るものと、心で感じる色は、同じですか?」
誰も即答しなかった。
その静けさを破るように、《フクロウ》は海の映像を一枚映し出した。
HDRで撮影された鮮明な瀬戸内海。白い波、青い空、整った水平線。
「これは“美しい風景”でしょうか? それとも、“美しい記録”ですか?」
葵は、その問いがずっと頭の中でこだましていた。
だから、授業のあと、校舎の裏にある小さな倉庫に立ち寄った。
そこには地元の美術教師・白石先生がいた。
短髪で、日に焼けた肌の、いつも靴が泥だらけの人。
彼は、画材を手渡しながら、特に説明もせず、ただ一言だけ言った。
「水彩を選ぶか? それともアクリルか?」
「水彩で」
そう答えると、先生は木箱の中からひとそろいのセットを出してきた。
●スケッチブック(ホワイトワトソン中目、F4)
●透明水彩24色セット(シュミンケ・ホラダム)
●丸筆3種(5号・10号・14号)とリセーブルの平筆
●白磁パレット
●スポイト、クロス、練り消し、予備の鉛筆とミニトレー
「混ぜすぎるなよ。海の青は一色じゃない」
そう言って、先生は目を合わせずに教室の奥へ戻っていった。
海までの道は、瓦屋根の集落を抜けて、ゆるやかに下る坂道だった。
春の終わり、風はまだ冷たく、空は霞がかかっていた。
畦道にはハルジオンが群れ咲き、風で一斉にそよいでいた。
田んぼに張られた水が、空の色を揺らしていた。
荷物は少し重かったが、葵はそれが心地よかった。
画材の重みは、いままでの「見る」こととは違う、「描く」ための質量だった。
目に入るすべてのものが、まだ紙に載っていない色のように感じられた。
瀬戸内海に面した砂浜に着いたのは、日が中空に昇りかけたころだった。
穏やかな入り江で、波はほとんど立たない。
でも、光だけは、ずっと動いていた。
葵は砂を払い、シートを広げ、スケッチブックを置き、タブレットを横に置いた。
昨日撮った海の写真。HDRで記録された「完璧な青」だった。
でも、今日の海は――違って見えた。
風が斜めに吹いている。
水はざわめき、光は割れ、空はにじんでいた。
そして、筆を水に含ませたところから、**第1章《映像の中の海、目の前の海》**が始まる。