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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2038/2230

第194章 《色とは誰のものか》



 「この赤は、誰の赤だと思う?」


 AI教師フクロウの問いかけに、教室は静まり返った。


 目の前の積層ディスプレイには、精緻な構造で構成された赤い布の映像が映っている。

 色温度、反射率、視差、微細なテクスチャまで忠実に再現されている。

 だが、フクロウが求めているのは“技術的正確さ”ではなかった。


■ 「君の赤」と「わたしの赤」は同じか?


 「私はこの赤を“深くて少しだけ青みがかった赤”だと感じるけれど、

  それが君にも同じように“赤”として見えている保証はない。」


 ミナが戸惑いながら答える。


 「だって、見えてる色は“同じ”じゃないの?

  みんなが“赤い”って言うなら、それは“赤”でしょ?」


 フクロウは静かに言葉を重ねた。


 「では逆に、“全ての人が同じ色を同じように見ている”と、どうやって証明できますか?」


 それは、「色の客観性」ではなく、「色の経験が主観であること」への問いだった。


■ ネーゲルの“コウモリであるとはどういうことか?”


 フクロウが話し始める。


 「哲学者トマス・ネーゲルは1974年に、こう問いました。

  “コウモリであるとはどういうことか?”」


 コウモリは超音波で世界を“見る”。

 我々がそれを理論的に理解することはできても、“コウモリのように感じること”は不可能だ。


 「これは、“主観的経験クオリア”の本質が、

  どれほど精緻に科学で記述されても、

  “体験としての感覚”は他者と共有できないという例です。」


 そして、それは「色の見え方」にも適用できる。


■ ジャクソンの“メアリーの部屋”


 次にフクロウは、フランク・ジャクソンの思考実験を紹介した。


 「“メアリー”という科学者がいました。

  彼女は“色”を一度も見たことがありません。

  白黒世界で育ち、しかし“色に関する全ての物理学”を学び尽くしました。」


 そのメアリーが、ある日、白黒の部屋から出て初めて“赤”を見たとき、どうなるか。


 「彼女は“赤”という色に関する全ての科学的情報を知っていた。

  それでも、“実際に見る”ことで“何か新しいこと”を知ったのではないか?」


 その“何か”こそが、“クオリア(感覚質)”である。


■ ディスプレイは“物理”を完璧に再現できる。では“主観”は?


 リョウが手を挙げた。


 「このディスプレイは、波長も、視差も、凹凸も、全部再現してる。

  でも、それを見たときの“感じ”は、僕とミナとでは違うかもしれないってこと?」


 「その通りです。」とフクロウ。


 「物理的には同じ光が目に届いていても、

  その光をどう“感じる”かは、主観的に異なる可能性がある。

  そして、科学ではその違いを“説明”はできても、“経験する”ことはできません。」


■ 色とは、“世界の一部”か、“意識のかけら”か


 ここで南条が加わる。


 「科学者たちは、色を“波長×脳の処理”と定義する。

  だが、芸術家にとって色は“意図”であり、“記憶”であり、“感情”でもある。」


 ミナがぽつりと呟いた。


 「じゃあ……“赤”って、世界にあるんじゃなくて、

  “わたしの中に”あるってこと?」


 「その問いが、この章の核心だ。」フクロウは頷いた。


 「色とは誰のものか――それは、“見る者”一人ひとりに属するのです。

  そして、それこそが芸術と科学が交差し、分かたれる地点なのです。」


■ 「色が共有できない」ことの意味


 ユリが静かに言った。


 「でも、もし“色の見え方”が本当に違うなら……

  誰かが“美しい”って思った色を、他の人はそう見えてないかもしれない。

  それって、ちょっと悲しい。」


 フクロウは少しだけ間を置いてから、こう答えた。


 「だからこそ、私たちは“同じ色”を指差して、

  “これが赤だ”と確認し合う。

  色とは、“違いを知った上で共有しようとする行為”でもあるのです。」


そのとき、ディスプレイに表示されていた赤が、ほんのわずかに変化した。

深みが増したのか、光が沈んだのか、それはわからなかったが――

誰もがそれを“感じた”ような気がして、黙って見つめた。


色は、誰のものでもなかった。

けれど、その瞬間、全員が“その色”を同時に見ていた。


それが、答えのない問いへの、たったひとつの答えかもしれなかった。


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