第192章 《沈む色と浮く記憶》
絵の中の赤は、静かに沈んでいた。
画面は明るい。発色は鮮明。だがその赤だけは、どこか重く、深く、ゆっくりと“沈み込んでいるように”見えた。
「色が……浮いてる、でも沈んでる。」
そう呟いたのは、13歳のイサムだった。
教室に設置された積層ディスプレイは、先ほどと同じ絵を表示していた。
だが今回は、“色層”の深度を可変設定にしたモード――
**マルチリニア色沈降モード(MLDS)**が起動されている。
表面には何もない。ただ光。
それでも彼の眼には、赤が層の奥から湧き上がり、途中でまた沈んでゆくように映っていた。
■ 色の“位置”とは何か
講師のフクロウが、生徒たちに問いかける。
「色は、どこにありますか?」
誰もすぐには答えられなかった。
壁? 画面の中? 網膜? 脳? それとも……。
イサムが答えた。
「“中にある”って感じがします。……色が“手前”じゃなくて、“奥の方”に。」
フクロウは頷く。
「それは正しい認識です。
積層ディスプレイのこのモードでは、色は複数の層に物理的に配置されている。
それにより、君の視覚系は“色の距離感”を無意識に処理しています。」
■ 技術構造:時間を含んだ色の再現
ディスプレイは最大7層の可変発色層を持ち、それぞれが異なる波長反射特性を持つ。
- 第1層:表層の明度・彩度情報
- 第2〜4層:光の散乱による不透明度と濁りの表現
- 第5層:染料系構造色を模倣した“色の滲み”構成
- 第6層:グレーズ=透明色の累積層
- 第7層:記憶再構成用・時間依存変化層(黄変、退色の再現)
これらが組み合わさることで、画面上の赤は**“単色ではなく、沈みと浮きのリズム”を持った構造体**となる。
■ 色の奥に、記憶が潜んでいる
イサムの隣にいた《佐原ユウキ》は、かつて画家だった。
戦後間もない時代に、厚塗りの油絵を何十年も描いていた。
彼は、静かに語り始めた。
「私が昔、最後まで塗れなかった赤があるんだ。
キャンバスにはあるけど、どうしても“出し切れなかった”色。
……さっき、このディスプレイでそれを見た気がしてね。」
子どもたちは目を見開いた。
「でもそれは、もう存在しないんじゃ……?」
「物質としてはな。けれど、このディスプレイの中には、
“かつてそこにあった光”の構造が、層として再現されている。
それを、私の記憶が呼び戻したのかもしれん。」
■ 光の沈み=時間の層
フクロウが補足する。
「このディスプレイは、単なる色彩表示装置ではありません。
色が、どの順番で、どれだけの厚みで塗られたか――
その“時間の構造”まで記録し、再構成することが可能です。」
つまり、赤の下には、別の色が塗り重ねられている。
それが光の角度、眼球の位置、室内の照明条件によって、わずかに“透けて”見える。
それは絵具の物理的な挙動ではなく、
人間が“そう見ていた”記憶の再現に他ならない。
■ 教室に現れた“沈黙の色”
講堂の灯が少し落とされ、表示は暗めのターナー風景画に切り替わった。
黄灰色の空、深い紺色の水面。
その中央に、わずかに“沈む紅”が現れた。
それは、絵画の中の“中心ではない色”だった。
だが、見た瞬間に誰もが「ここに何かがある」と感じた。
イサムが言った。
「……ここには、誰かがいた気がする。」
フクロウが応じた。
「色とは、ただの波長情報ではありません。
そこに“何かがあった”と知覚させる“記憶構造”でもあるのです。」
■ 「見る」という行為は、“層を越えて触れる”こと
最後に、フクロウが言った。
「君たちは、“色を見た”と思ったかもしれない。
だが、君たちが本当に体験したのは――
“記憶が沈んだ層”に、眼差しが触れた瞬間だったのです。」
イサムはもう一度、その赤を見つめた。
たしかにそれは、絵の中の赤ではなく、
“誰かの記憶が塗り残したもの”のように思えた。