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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2036/2290

第192章 《沈む色と浮く記憶》



 絵の中の赤は、静かに沈んでいた。

 画面は明るい。発色は鮮明。だがその赤だけは、どこか重く、深く、ゆっくりと“沈み込んでいるように”見えた。


 「色が……浮いてる、でも沈んでる。」


 そう呟いたのは、13歳のイサムだった。


 教室に設置された積層ディスプレイは、先ほどと同じ絵を表示していた。

 だが今回は、“色層”の深度を可変設定にしたモード――

 **マルチリニア色沈降モード(MLDS)**が起動されている。


 表面には何もない。ただ光。

 それでも彼の眼には、赤が層の奥から湧き上がり、途中でまた沈んでゆくように映っていた。


■ 色の“位置”とは何か


 講師のフクロウが、生徒たちに問いかける。


 「色は、どこにありますか?」


 誰もすぐには答えられなかった。


 壁? 画面の中? 網膜? 脳? それとも……。


 イサムが答えた。


 「“中にある”って感じがします。……色が“手前”じゃなくて、“奥の方”に。」


 フクロウは頷く。


 「それは正しい認識です。

 積層ディスプレイのこのモードでは、色は複数の層に物理的に配置されている。

 それにより、君の視覚系は“色の距離感”を無意識に処理しています。」


■ 技術構造:時間を含んだ色の再現


 ディスプレイは最大7層の可変発色層を持ち、それぞれが異なる波長反射特性を持つ。


 - 第1層:表層の明度・彩度情報

 - 第2〜4層:光の散乱による不透明度と濁りの表現

 - 第5層:染料系構造色を模倣した“色の滲み”構成

 - 第6層:グレーズ=透明色の累積層

 - 第7層:記憶再構成用・時間依存変化層(黄変、退色の再現)


 これらが組み合わさることで、画面上の赤は**“単色ではなく、沈みと浮きのリズム”を持った構造体**となる。


■ 色の奥に、記憶が潜んでいる


 イサムの隣にいた《佐原ユウキ》は、かつて画家だった。

 戦後間もない時代に、厚塗りの油絵を何十年も描いていた。


 彼は、静かに語り始めた。


 「私が昔、最後まで塗れなかった赤があるんだ。

 キャンバスにはあるけど、どうしても“出し切れなかった”色。

 ……さっき、このディスプレイでそれを見た気がしてね。」


 子どもたちは目を見開いた。


 「でもそれは、もう存在しないんじゃ……?」


 「物質としてはな。けれど、このディスプレイの中には、

 “かつてそこにあった光”の構造が、層として再現されている。

 それを、私の記憶が呼び戻したのかもしれん。」


■ 光の沈み=時間の層


 フクロウが補足する。


 「このディスプレイは、単なる色彩表示装置ではありません。

 色が、どの順番で、どれだけの厚みで塗られたか――

 その“時間の構造”まで記録し、再構成することが可能です。」


 つまり、赤の下には、別の色が塗り重ねられている。

 それが光の角度、眼球の位置、室内の照明条件によって、わずかに“透けて”見える。


 それは絵具の物理的な挙動ではなく、

 人間が“そう見ていた”記憶の再現に他ならない。


■ 教室に現れた“沈黙の色”


 講堂の灯が少し落とされ、表示は暗めのターナー風景画に切り替わった。


 黄灰色の空、深い紺色の水面。

 その中央に、わずかに“沈む紅”が現れた。

 それは、絵画の中の“中心ではない色”だった。

 だが、見た瞬間に誰もが「ここに何かがある」と感じた。


 イサムが言った。


 「……ここには、誰かがいた気がする。」


 フクロウが応じた。


 「色とは、ただの波長情報ではありません。

 そこに“何かがあった”と知覚させる“記憶構造”でもあるのです。」


■ 「見る」という行為は、“層を越えて触れる”こと


 最後に、フクロウが言った。


 「君たちは、“色を見た”と思ったかもしれない。

 だが、君たちが本当に体験したのは――

 “記憶が沈んだ層”に、眼差しが触れた瞬間だったのです。」


 イサムはもう一度、その赤を見つめた。

 たしかにそれは、絵の中の赤ではなく、

 “誰かの記憶が塗り残したもの”のように思えた。


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