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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2035/2200

第191章 《透明な凹凸:見る触覚の実験》




 その部屋には絵具もキャンバスも存在しなかった。

 あるのは、1枚の“平面”──ただしそれは、視線を受けた瞬間に、静かに隆起した。


 新寺子屋第7教室。

 今日の実験は、「見るということの構造について」。

 そのために、教育省技術支援課が試験運用中の**積層ディスプレイ試作機《S-Layer Type A1》**が導入された。


 講師の《フクロウ》は、かすかに瞬くような音声で言った。


 「これは“見る”と“触れる”の境界を曖昧にする装置です。」


■ 「そこに“触れた”ような気がした」


 最初に驚いたのは、12歳のユリだった。


 表示されたのは、単なる油絵の再現画像。

 だが、ユリは画面に手を伸ばし、触れる前に一瞬だけ息を止めた。


 「……触ったわけじゃないのに、“当たった”感じがした。」


 「それは脳が“触覚予測”を起動したからですね。」

 フクロウが即答した。


 他の生徒たちは怪訝そうにユリを見る。

 画面は、あくまで滑らかなガラス面だ。盛り上がりも、筆致も、物理的には存在しない。


 「ですが、そこに**“凹凸があるはず”という情報が、目から入ってしまった**のです。」


■ 積層構造の原理:凹凸は“物質”ではなく“構造化された光”


 フクロウは表示を切り替えた。

 《S-Layer》の断面構造が3Dホログラムで示される。


 - 表層:超薄型ARナノ拡散レイヤー(角度視差調整)

 - 第2層:MEMS変位層(最大0.25mmの局所凹凸再現)

 - 第3層:QDマイクロ発光層(12波長帯域)

 - 第4層:黒色吸光層+微細構造ハーフトーン制御

 - 背面:光制御キャビティと発熱調整フィルム


 この構造により、表示される“画像”には:


 - 立体的な陰影

 - 微細な反射差

 - 視線角度による輝度と色相の変化

 - さらには“厚み”の錯覚まで生じる。


 「君たちが凹凸を“見た”と思ったのは、網膜が受けた情報の段階で“形状データ”として統合されていたからです。」


■ 触れずして、触覚野が反応するということ


 フクロウはさらに続けた。


 「MRI研究では、視覚だけで皮質のS1領域(一次体性感覚野)が活動する例が知られています。

 つまり、“見ただけで触れたような感覚”は、幻ではない。」


 このとき、S-Layerが“マチエール再現モード”に切り替わる。

 表示されたのは、厚塗りの油彩画──実際には存在しない筆の盛り上がりが、画面の表面に**“隆起”して見える**。


 リョウが小さくつぶやく。


 「……指が勝手に“押さえちゃダメだ”って感じる……。」


 それがまさに、触れないはずのものに、触れようとする身体の反応だった。


■ 触れられないことが、逆に“物質性”を強調する


 生徒の一人が言った。


 「でも、触っても何もないのに……“あるように感じる”って、変じゃない?」


 フクロウが頷く。


 「その違和感こそが、“視る”という行為に内在する“触覚的認知”の証拠なのです。」


 かつて、絵画とは“触れないこと”によって守られる芸術だった。

 しかし、視覚があまりに高精度になりすぎたとき、人間の脳は勝手に“触れている”と判断してしまう。


 南条という年配の技術顧問が口を開く。


 「この装置は“触れないこと”を強制しながら、“触れた記憶”を呼び起こす。

 その逆説が、“絵を見る”という行為の本質を暴き出すんだよ。」


■ “視覚だけで”身体が動くとき


 実験は続いた。

 S-Layerは次に、ワックスを塗り重ねたような抽象画を表示した。

 見る角度によって光沢が滑り、白く“盛り上がった”ように感じる。


 ユリが不意に、指をひっこめた。


 「……何かが、こっちに向かってきた気がして。」


 フクロウが記録装置のデータを表示する。


 「彼女の脳波には、明らかに“接近する物体への触覚防御反応”が出ていました。

 視覚が、身体の反応を予告したのです。」


■ まとめ:見ることは“表面”ではなく“深層”を知覚する行為


 講義の終わり、フクロウはこう語った。


 「“凹凸”とは、物理的な形ではありません。

 それは、脳が“触れるだろう”と予測した光の動きです。」


 積層ディスプレイは、ただの画像表示装置ではない。

 それは、“光の凹凸”を見せ、“記憶の触感”を喚起する知覚装置なのだ。


 南条は言った。


 「そして、見る者の“触れようとする身体”がある限り、

 視覚は“奥行き”を持ち続けるだろう。」


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