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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2032/2187

第188章 《ディスプレイ vs 網膜》




講堂がほの暗くなり、壁一面のスクリーンに映像が投影された。

それは、一輪の赤いバラの画像だった。

次に表示されたのは、同じバラを紙に印刷した写真。

さらに最後は、本物のバラをカメラでリアルタイムに映し出した映像。


リョウが目を凝らす。


「……同じに見えるけど、なんか“違う”。

色が、画面の方が強い気がする。」


フクロウが応じた。


「君の感覚は正しい。

今日は、“見る”とは何かをさらに深く考えるために――

発光するディスプレイと、光を受け止める網膜の違いを掘り下げる。」


【1】ディスプレイの“光”は、目に直接届く


フクロウは、ディスプレイの基本構造を説明し始めた。


「テレビやスマートフォンの画面は、自ら光を放っている。

RGB――赤、緑、青の微小な発光素子が組み合わさり、あらゆる色を作り出す。」


だがこの光は、物体を照らして反射したものではない。

光源そのものが、網膜に直接届いている。


「たとえば、赤いバラをディスプレイで表示するということは、

“赤く見える波長成分”を放射する光の合成だ。

その光は、網膜に“赤”として到達し、君たちの脳が“これはバラだ”と判断する。」


しかし、実物のバラは違う。

それ自体が発光しているわけではなく、

太陽光や室内灯に照らされ、その光のうち赤い波長成分だけを反射しているにすぎない。


南条が言った。


「つまり、ディスプレイは“出す”光、実物は“返す”光。

この違いが、色の“印象”に決定的な差をもたらす。」


【2】網膜は“光の混合”の違いを、同じ“色”と感じることがある


フクロウが新たに表示したのは、同じ“緑”に見える二つの光のスペクトルだった。


ひとつは、単一波長の緑(例:532nm)。

もうひとつは、青と黄の光を混ぜて作った“緑に見える”合成光。


「このふたつは、“見た目”は同じだ。

だが、光の構成はまったく異なる。

前者は純粋な単色光、後者は複数波長の加法混色。」


ミナが驚いたように言った。


「じゃあ、私たちは“違う光”を“同じ色”として見てるの?」


「そうだ。」フクロウが頷く。


「この現象をメタメリズムと呼ぶ。

人間の目には、S・M・Lの3種類の錐体細胞しかなく、

それぞれが短波長(青)、中波長(緑)、長波長(赤)に反応する。

そのため、“同じ三刺激値”を持つ光は、同じ色としてしか識別できない。

たとえ、それが全く違うスペクトル構成を持っていても。」


【3】ディスプレイの“色”には限界がある


リョウが質問した。


「じゃあ、ディスプレイって、どんな色でも出せるの?」


南条が即答する。


「いや、出せない。

ディスプレイの色域――つまり“再現できる色の範囲”は限られている。」


人間の可視光は、波長で言えば約380〜780nm。

この範囲内の色を、CIE 1931色度図の“馬蹄形”として表現すると、

ディスプレイが出せるのはその中の小さな三角形にすぎない。


「RGBの“3点”を結んだ三角形が、再現可能な色域だ。

それは、蛍光色、深い青紫、黄緑など、“端の色”ほど再現が難しい。」


フクロウが続けた。


「だから、印刷で見た蛍光ペンのような“まぶしい色”は、

ディスプレイでは“鈍く見える”。

反対に、ディスプレイで作られた青い光は、実物より“強すぎる”印象を与えることもある。」


【4】色は“光”であり、“構造”であり、“脳の解釈”でもある


フクロウは三段階のモデルを提示した。


「色とは、まず物理現象だ。

波長の違う電磁波が、物体の表面で選択的に反射・吸収される。


だが同時に、それは物質の構造情報でもある。

ナノメートル単位の構造によって、“干渉色”や“光の散乱”が起きる。

たとえば、玉虫色やシャボン玉の虹は、色素ではなく“構造色”だ。」


ミナが聞いた。


「でも、最終的には目で見てるわけでしょ?」


「その通り。

色の本質は、脳がそれをどう解釈したかに帰着する。

つまり、“色”とは、光と物質と脳が織りなす現象だ。」


南条が加えた。


「ディスプレイは、光の模造品である。

網膜は、それを真に受けてしまう。

そして脳は、“そこにある”と信じてしまう。

……だが、それが必ずしも“実物の色”とは限らない。」


【5】“見える”色と“ある”色は、重ならない


講堂の中央に、本物のバラが置かれた。


子どもたちは近づいて見る。

ディスプレイに映ったそれとは違い、光沢、陰影、表面の凹凸が複雑に重なっていた。


「この違いをどう感じるかが、君たちの“目の教育”になる。」

フクロウがそう言った。


「“色”とは、単に波長の問題ではない。

環境光、表面材質、距離、空気中の粒子、見る者の心理――

すべてが、“その色”を形づくっている。」


南条が結んだ。


「ディスプレイは、進化し続けている。

けれどそれは、あくまで“目の代用”であり、“世界そのもの”ではない。

君たちはこれから、“発光する色”と“反射する色”の違いを識る目を養っていく。」


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