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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2031/2254

第187章 《模倣と最適化》




講堂に映し出されたのは、1950年代の初期テレビカメラの設計図だった。

ブラウン管に映る粗い像、縞模様の走査、ノイズ交じりの信号。

それは、「記録の時代」の視覚だった。


フクロウが静かに語りかけた。


「なぜ、カメラは人間の目の構造を“模倣”しなかったのか?」


ミナが首をかしげた。


「模倣した方がリアルに見えそうなのに……?」


【1】“意味を問わない記録”において、模倣は非効率だった


南条が補足する。


「当時の目的は、“見たままを記録する”ことではなく、

“できるだけ情報を漏らさず、機械的に保存する”ことだった。

だからカメラは、画面全体を等解像度・等価値としてスキャンする方式を選んだ。」


人間の視覚は、中心窩と呼ばれるごくわずかな領域にのみ高精細な解像力を集中させ、

周辺視野は粗く、動きと明暗だけを感じる。

そして視線を常に動かし、情報を時間的に“スキャン”し続けている。


「この構造は、“記録する”には不向きだ。

ゆえに、当時の技術者たちは“目のように作る”ことをあえて避けた。」


【2】記録から判断へ:模倣が合理化された転換点


だが、現代の視覚システムが求めるものは変わった。

監視カメラは人混みから危険人物を探し、

自動運転車は膨大な映像の中から、歩行者・信号・標識だけを瞬時に識別しなければならない。


フクロウが言う。


「このとき必要なのは、全ての情報を等価に処理する“走査型の目”ではない。

“選択的に見る”目だ。

つまり、私たちの持つ“生物としての視覚構造”が、今になって最適化モデルとして再評価されている。」


【3】視覚構造の模倣が進む現代技術


講堂の壁面に、AI視覚技術の事例が連続して投影された。


まず、イベントベースカメラ。

これは、光量の変化が起きたピクセルのみが非同期に出力される装置である。

“動き”のある部分にだけ注目し、静止部分は完全に無視する。


「これはまさに、網膜神経節細胞の“差分出力”を模倣したものだ。

人間の目も、光量変化に敏感な桿体細胞を通じて、動きの検出を第一義的に行っている。」


次に、深層学習における視覚処理。

CNN(畳み込みニューラルネット)は、視覚皮質V1野における“方向・エッジ・局所特徴”の検出を階層的に再現している。


さらに、視線の動きを模倣する“Foveated rendering”は、視点中心だけを高解像度で描画し、周辺は曖昧化することで処理負荷を劇的に削減する。


そして、TransformerベースのAttention機構。

これは、人間の視覚が“注意の焦点”を動かすように、重要な領域にだけ計算資源を集中する方法論であり、

現代AIにおける「見る」のパラダイムを根本から変えつつある。


【4】視神経を模倣することで、“意味”の抽出が可能になる


南条が言った。


「人間の目は、毎秒10億以上の光子を受け取っているが、

実際に脳へ送られる情報は、その1万分の1にも満たない。

視神経は、不要な情報をフィルタリングし、重要な“変化”だけを伝える回路を持っている。」


これに対し、従来のテレビカメラは、

すべての画素を、すべてのフレームで記録していた。


「だが今、AIが扱う映像量は膨大であり、すべてを処理することはもはや不可能だ。

そのとき、視神経構造――すなわち“情報の削減機構”の模倣こそが鍵となる。」


フクロウが言う。


「模倣とは、単に目の構造を真似ることではない。

それは、“意味を抽出するための最適化モデル”としての視覚構造を再設計する行為なのだ。」


【5】模倣は、人の視覚を回復し、超える


最後に、義眼プロトタイプの映像が流れる。

人工網膜チップが光信号を受け取り、それを微細な電気刺激に変えて、視神経に送っていた。


この装置は、網膜の細胞配置、刺激反応、周波数応答を模倣して設計されている。


「ここでの模倣は、技術の応用ではない。

人間の身体性を“取り戻すため”の模倣だ。

そしてこの模倣が進めば、視力を失った人が再び世界を見るだけでなく、

もともとの視覚構造とは違う“新しい目”を手に入れる日も近い。」


ミナが問いかけた。


「じゃあ、“見る”って、どこからどこまでが“自分の目”って言えるの?」


フクロウが答えた。


「それは、君が意味を受け取ったときから始まる。

“見る”という行為は、眼球の中だけで起こっているのではない。

模倣によって初めて、“見るとは何か”が問い直され、拡張されるのだ。」


照明が落ち、講堂には一瞬の静寂が訪れた。

だが子どもたちの内面には、確かな波紋が広がっていた。

それは、“視覚”という言葉に、かつてなかった手触りを与える問いのはじまりだった。


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