第186章 《視覚の解像度とは何か?》
講堂の中央に設置された大型スクリーンには、次々と高精細の映像が映し出されていた。
花びらの産毛、虫の翅の模様、岩肌の微細なひび――いずれも8000×4320ピクセル。
いわゆる「8K」画像である。
ミナが思わずつぶやいた。
「すごい。こんなに細かいの、肉眼より見えてるんじゃない?」
フクロウが、宙に浮かぶ光の瞳をふわりと揺らした。
「それは本当だろうか?」
【1】“網膜解像度”はカメラより劣るのか?
フクロウが提示したのは、人間の目の断面図だった。
•網膜には約1億2千万本の桿体細胞(明暗を検知)
•そして約600万本の錐体細胞(色と細部を検知)
•だが、中心にある「中心窩(fovea)」はわずか0.01%の領域にすぎない
リョウが眉をしかめる。
「じゃあ、600万画素って……スマホカメラ以下じゃないか?」
南条が静かに首を横に振る。
「数字の比較は意味がない。
なぜなら、“解像度”とは“見える細かさ”ではなく、“知覚される情報密度”の問題だからだ。」
【2】人間の目は“全体”を高精細で見ていない
フクロウがスライドを切り替える。
そこには、視野中心は鮮明に、周辺はぼやけた画像が示されていた。
「君たちは普段、“視界全体”がくっきり見えているように思っている。
だが実際には、網膜の中心部分(中心窩)でしか高解像度な像は得られていない。」
ミナが言う。
「でも、周りも見えてるよ?」
南条が答える。
「それは脳が補完しているのだ。
君たちは、1秒間に3〜5回、無意識に眼球を動かし(サッケード)、
細部を“なめるように”見ては、それを一枚の映像として合成している。
人間の視覚は、“記録”ではなく“再構築”のプロセスなのだ。」
【3】高解像度カメラの構造的限界
フクロウが提示したのは、最新の8Kテレビカメラの内部構造だった。
•3300万画素(7680×4320)
•各画素にはRGBのカラーフィルター
•1画素ごとに光電変換してデジタル信号化
•全画面を“等解像度”で記録
「だがこの構造は、画面全体が常に同じ情報量を持つという“非生物的”な方式だ。」
リョウが言う。
「つまり……人間の目みたいに、“一部だけ高精度”ってわけじゃない?」
「その通り。」フクロウが応じる。
「しかし逆に言えば、それは非効率でもある。
カメラは、重要でもない場所にまで同じリソースを割いている。
人間の目は、“見るべき場所”にだけ集中する。」
【4】“見る”という能動的行為
南条が手元のペンを落とした。
ミナの視線が一瞬そちらに移る。
「今、君の視点は一瞬、中心窩を移動させた。
その時、網膜ではほんの数百の錐体細胞しか働いていなかったが――
君は“落ちたペン”の位置、速度、方向を理解した。」
「これが“見る”という行為だ。」フクロウが続ける。
「網膜の解像度とは、光を検出する“入口”の性能にすぎない。
だが視覚とは、“脳が何に注意を向け、何を意味づけたか”の問題である。」
【5】では「視覚の解像度」とは何か?
フクロウが黒板に書いた。
視覚解像度 = 網膜解像度 × 注視行動 × 意味構築
「この数式の意味を、もう一度考えてほしい。
どんなに高画素なカメラでも、
どんなに発色のよいディスプレイでも、
“見るべきもの”を選び、“意味”として構築しなければ、
それは単なる“情報の海”にすぎない。」
チャイムが鳴った。
だが誰も席を立たない。
南条が言った。
「これから先、君たちは“見る”という言葉を、もう一度定義し直すことになるだろう。
高解像度の技術と人間の視覚――
その“違い”こそが、君たちの最初の探求の対象だ。」