第185章 《ホログラムに浮かぶ記憶》
講堂の中心に置かれたステージが静かに光りはじめた。
淡い青白い光の中に、徐々に立ち現れてきたのは――一枚の油絵。
だが、それは物理的な“額”を持たず、空中に浮かぶように、深く、揺れながら存在していた。
ミナが思わず声をあげる。
「……浮いてる……本物みたい。」
「いや、本物以上だ。」南条が低く呟く。
フクロウが説明する。
「これは、“干渉波面”を用いたフルホログラフィック再構成による映像だ。
君たちが今見ているこの絵は、レーザー干渉によって“光そのものの構造”を記録し、再生している。
つまり、これは“像”ではない。“光”だ。」
【1】ホログラムとは何か
フクロウの投影が図解に変わった。
•左:従来の写真=“光の明暗”のみを平面で記録
•右:ホログラム=“波長・位相・干渉構造”までも3次元的に記録
「通常の画像は、“見た方向からの情報”しか保持しない。
しかしホログラムは、見る位置を変えれば、像も変化する。
これは、網膜上に“視差”が生じているからだ。」
ケイが顔を横に振った。
「ほんとだ……絵の中の水面が揺れてるみたいに、見え方が変わる。」
「正確には、**“絵を見ている光が変化している”**んだ。」フクロウが応じる。
「君たちがこの絵を“立体”だと感じるのは、脳が光の到達方向の違いから奥行きと質感を再構成しているからだ。
そしてそれは、“記憶にある質感”をも再起動させる。」
【2】記憶とホログラムの交差点
講堂の壁が暗転し、別の像が浮かび上がった。
それは、ミナがかつて母と訪れた美術館で見た絵画だった。
彼女が小声で言う。
「……この絵……覚えてる……」
「このホログラムは、君の記憶から再構成されたものだ。」フクロウが静かに語る。
「当時の展示照明、ガラス越しの反射、周囲の壁の色……それらすべてが、君の視覚記憶に残されていた。
君が語った断片的な記憶をもとに、AIは補完し、光学構造として再現した。」
「じゃあこれ……偽物ってこと?」
ミナの声に、フクロウが返す。
「そうとも言える。だが、“記憶”もまた、本物ではないかもしれない。」
南条が静かに歩み出て、空中の絵をじっと見つめた。
「昔、僕はこの絵を修復したことがある。
でも、照明の熱で絵具の層が微かに変色していて、修復前の状態はもう二度と戻らない。
それを……今ここで“見ている”。それもまた、現実ではないか?」
【3】存在しない光の“現実性”
フクロウが補足する。
「君たちが今見ているのは、この空間に存在しない“光”だ。
だが、君たちの脳はそれを“確かにそこにある”と認識している。
この現象こそ、ホログラムが“記憶と現実の境界”を壊す力を持つ証拠だ。」
リョウがつぶやく。
「……じゃあ、“思い出すこと”と、“見ること”は、同じことになるの?」
「近づいている。」フクロウが頷いた。
「AIが視覚記憶を視覚光として再構成することで、
“脳内イメージ”と“知覚される外界”が、同じ座標に並ぶようになる。
それが、“記憶のホログラム化”という新しい知覚技術だ。」
【4】ホログラムが問う“本物”の定義
南条が締めくくるように言った。
「君たちは、“本物”という言葉を、物質かどうかで判断しがちだ。
だが、美術とは――その“色”や“光”に、何を見出したかで成り立っている。」
「その意味で、ホログラムは“芸術の魂”を複製する手段にもなりうる。
ただし……」
南条は空中の絵を見上げながら言った。
「そこに何を見出すかは、“見る人の記憶”次第だ。
ホログラムが“本物”になるかどうかは、君たちの中に答えがある。」
講堂が静まり返った。
空中に浮かぶ絵は、今もわずかに揺れていた。
それは、記憶の揺らぎそのもののようでもあり、
もう誰も存在しない過去の風景そのもののようでもあった。