第183章 《色彩を刻む》
講堂の照明が消えると、中央のステージに三本のレーザーが並んで点灯した。
ひとつは深い赤、ひとつは鮮やかな緑、もうひとつは眩しい青。
まるで虹を断片に切り取ったような光の柱が、それぞれ静かに宙に立っていた。
ミナが目を丸くした。
「RGB……光の三原色?」
「そのとおりだ。」南条が応じる。
「白黒ホログラムは、単色レーザーで1波長の“波の記憶”を記録していた。
だが今日から君たちは、“色を持つ波”を記録し、空間に“色彩そのもの”を復元する方法を学ぶ。」
【1】色とは波長の束である
フクロウのホログラムが、CIE色度図(馬蹄形)を天井に投影する。
「人間が知覚できる可視光は、だいたい380nm(紫)から780nm(赤)までの波長の範囲にある。
だが、モニターもプリンターも、RGBやCMYKといった“限られた色”の組み合わせでこの範囲を“近似”している。」
ケイがつぶやいた。
「つまり……色って、いろんな波長が混ざってるだけ?」
「そう。だけど重要なのは、“混ざり方”によって“同じ色”に見えても、スペクトルはまったく異なるということ。」
•RGBで表現される“緑” = 青 + 黄の合成
•本物の葉の緑 = 520nm前後の反射ピーク
「ホログラムでは、“合成された見かけの色”ではなく、“実際の波長構造”をそのまま記録できる。」
【2】多波長干渉の記録技術
講堂の横に設置された実験台には、3波長レーザーを合成する光学系が組まれていた。
•赤:λ ≈ 633nm(He-Neレーザー)
•緑:λ ≈ 532nm(倍波Nd:YAG)
•青:λ ≈ 473nm
リョウが聞いた。
「こんなに波長が違ってて、干渉するの? 波長バラバラじゃ……?」
フクロウが答える。
「基本的に異なる波長同士は“直接干渉しない”。
だから、“それぞれの色で独立して干渉縞を記録”し、3枚分を一枚のホログラムに重ねるようにする。」
スクリーンには、三種類の干渉縞が色別に描き分けられた図が表示される。
「ただし記録材の解像度・感度・屈折率変化は、色ごとに異なる。
高分解能なフォトポリマーや多層記録型材料が必要になる。」
南条が補足する。
「レーザー強度と角度も微調整して、3つの波長ごとに最適な干渉状態を作り出す。
波長ごとの“光学設計”が、カラーホログラムの核心なんだ。」
【3】再照射で色が戻る仕組み
フクロウが三色のレーザーをホログラム板に向けて再照射する。
その瞬間――
空中に浮かび上がったのは、赤い羽の鳥と、青い空、緑の草原。
それは画面ではなく、**空間そのものに展開された“色”だった。
ミナが感嘆の声を漏らす。
「すごい……モニターよりも、色が“生きてる”……」
「その理由は、君の網膜に届く光が、実際に“波長そのもの”を持っているからだ。」
フクロウが続ける。
「モニターは、RGBの組み合わせで“それっぽく”見せているだけ。
でもこれは、520nmの緑なら“本当に520nmの光”が目に届いている。
だから、より深く、より純度の高い色として知覚される。」
【4】ホログラムの色域は“世界の色”に近い
ケイが質問した。
「じゃあこのホログラムの色は……RGBよりすごいの?」
「“すごい”というより、“広い”。」
フクロウが馬蹄形の色度図に、次のような色域を重ねて見せた。
•sRGB:中程度の色域(モニターやWeb)
•AdobeRGB:印刷業界用の広色域
•Holocolor(仮):3波長レーザーホログラムが表現できる理論色域
「レーザーを増やせば(5波長、7波長……)、再現できるスペクトル構造は広がり、人間の色覚限界にどんどん近づいていく。
つまり、世界そのものの色を空間に再構築できる日も遠くない。」
【5】色の記憶とは、光の記憶である
南条が言った。
「君たちは、“あのとき見た夕焼けの色”を正確に思い出せるか?」
誰も、明確には答えられなかった。
「それは、“色”を記憶しているのではなく、**“光の記憶の残響”を想起しているからだ。
ホログラムは、その記憶を“波として凍結”する。
つまり――色を記憶する、というより、“世界の光”をそのまま保存している。」
ミナが呟いた。
「じゃあこの色は……思い出よりも本物なんだね。」
フクロウが静かに微笑んだ。
「色彩とは、記憶でも、映像でもない。
空間に漂う、波としての“存在”そのものだ。」