第182章 《再照射で甦る光》
講堂の奥に設置された黒い装置の上に、薄く透き通るプレートが一枚、静かに置かれていた。
それは、先ほどの章で子どもたちが目にした「干渉縞」を焼き付けた感光フィルム——
つまり、“波面を記録した”ホログラムだった。
フクロウが語る。
「君たちは、波を記録することができた。
では今、その“波”を、もう一度、空間に甦らせてみよう。
私たちは今から、“光の存在”そのものを再構成する。」
【1】再照射の準備:参照波をもう一度
南条がレーザーの光を慎重に調整して、ホログラムに対して斜めの角度から当てる。
その瞬間——
ふわり、と空中に“椿の花”が浮かび上がった。
ミナが息をのむ。
「……本物……? いや、ないのに、そこにある……」
「そう、それが“再照射”の力だ。」
フクロウの声が静かに響く。
「ホログラムとは、“記録された波面”だ。
そこに再び同じ参照波を当てれば、干渉縞がその波面を回折させ、元の“物体波”を再構成する。
つまり、光の道筋・揺れ方・進み方そのものが、“記憶通りに”もう一度現れるのだ。」
【2】なぜ「像」が見えるのか?
リョウが呟く。
「……でも、どうして“椿”に見えるの?
ただの光の縞模様だったのに。」
南条が補足する。
「見えているのは、再構成された“波面”から出る光だ。
それは、元の物体から来たのとまったく同じ方向・同じ曲がり方で目に届く。
だから君の目は、“そこに椿がある”と判断する。」
フクロウが続ける。
「つまり、これは光の反射ではない。
光の“元の形”が空間中に再び現れたということだ。」
【3】数学的構造の復習:再生とは“回折”である
スクリーンに、再構成の光学構造が映し出される。
1.記録された干渉縞 =
2.再照射する参照波 =
3.回折により生じる再生波:
→ これは記録時の物体波 と完全一致
「このように、干渉縞は“回折格子”として振る舞う。
そこに適切な波長と角度の参照波を当てれば、記録された波面と同じ波が再生される。
これは、**回折現象の“ブレッグ条件”**に基づいた、空間波面の物理的復元なんだ。」
【4】像の種類:虚像と実像の違い
ケイが、浮かび上がった椿を覗き込みながら聞く。
「先生、これって空中にあるけど、触れないよね?
“実像”じゃないの?」
フクロウがうなずく。
「これは“虚像”だ。
目には空間の奥にあるように見えるが、光はそこには集まっていない。
目の中で収束して“あるように見えている”だけだ。」
一方でフクロウは別の再生装置を点灯させた。
ホログラム板の手前、空中に小さな球体が“光の点”として浮かび上がる。
「これは“実像”だ。
光が空間上の一点に本当に集まっている。
つまり、スクリーンやカメラのセンサーで“撮れる”光なんだ。」
南条が加える。
「ホログラムは、再構成条件を変えれば、“虚像”も“実像”も作り出せる。
これはレンズや鏡ではできないことだ。」
【5】人間の目との接続:なぜ“本物”にしか見えないのか?
フクロウがまとめる。
「人間の目は、
両眼視差(右目と左目の像のズレ)
焦点調節(遠近に応じた水晶体の変化)
頭部の動きに応じた視差
によって、“物体が本当に存在しているか”を判断している。」
「そしてホログラムは、これらすべてに対応している。
だから脳は、“そこに本物がある”としか判断できない。」
ミナが、小さな声で言った。
「でも、それってちょっと……怖いね。
本当じゃないものが、“本当”にしか見えないなんて。」
南条は静かにうなずいた。
「そうだ。
ホログラムは、光学的に“完全な贋作”を作り出せる。
けれど、それは同時に、“存在とは何か”を問い直す手段にもなる。」
【6】記録された光は、「時間を超える」
フクロウが締めくくる。
「ここに記録された“波”は、数十年前の光でも、未来に再照射されればそのまま現れる。
つまりホログラムとは、時間の断面を固定し、それを空間に解き放つ装置なのだ。」
講堂に再び静寂が戻る。
椿の花は、何もない空間にただ静かに浮かび続けていた。
誰もいない過去の庭先の光を、そのまま空間に甦らせながら。




