第179章 《色を再現できないプリンター》
講堂の一角に、3台のプリンターが並べられていた。
そのうちの1台は古いインクジェット機、もう1台は業務用の高精細プリンター。そして最後の1台には「PANTONE再現対応」と書かれている。
フクロウが印刷された一枚のサンプルを取り出し、みんなに回した。
「この絵は、昨日見せたホログラムの絵画と“同じデータ”から印刷されたものだ。さて……何が違うだろう?」
リョウがまっさきに声を上げた。
「……椿の赤が、くすんでる。」
ミナも言った。
「空の青も、画面より浅いっていうか、白っぽい。」
フクロウが頷いた。
「そのとおり。今日の主題は、“なぜプリンターでは色が再現できないのか”だ。
君たちは、見えている色を“記録できる”と思っているかもしれないが、それは大きな錯覚に過ぎない。」
壁にCIE 1931色度図(馬蹄形の図)が表示される。
その中に、RGBの三角形と、CMYKの凹型の色域ポリゴンが重ねて描かれた。
【1】RGBの三角形 vs CMYKの限界
「モニターの色は、光の加法混色──RGB(Red, Green, Blue)で表現される。
これは“光そのもの”を足し合わせて白に向かう、加算モデルだ。
だから、色域も広い。特にAdobeRGBやDCI‑P3などのモニターは、かなり鮮やかな緑や青が再現できる。」
フクロウが話を続ける。
「しかし、印刷では**CMYK(Cyan, Magenta, Yellow, blacK)**という“減法混色”を使う。
インクは光を吸収し、残った反射光が我々の目に届く。
このとき、どうしても緑・青紫・蛍光色などは“反射光として出せない”。」
ケイが口を挟んだ。
「じゃあ、プリンターの“くすんだ色”って、性能が悪いってこと?」
「違う。」南条がはっきり言った。
「これは“原理の限界”だ。
RGBは“光源”であり、CMYKは“光のフィルター”にすぎない。
光源が持つ“純度”や“強度”を、反射では完全に再現できないんだ。」
【2】メタメリズムと“似ているのに違う色”
フクロウは、ふたつの青色チップを映し出した。
「これを見て、どちらが“正しい青”だと思う?」
ミナが迷いながらも答える。
「左……のほうかな。深くてきれい。」
「面白いことに、分光器で見ると右の方が青の波長に忠実なんだ。
君の目は、“色の印象”に引っ張られて、“スペクトル構成”を誤認している。」
「でも、どっちが本物って、決められないよね?」
「そうだ。これが“メタメリズム”の罠だ。
スペクトル構成が違っても、脳の三刺激処理によって同じ色に見える。
だが、印刷ではこの“別ルートの到達点”を完全に再現できない。」
【3】RGB→CMYK変換と“失われる色”
講堂に表示されたのは、Adobe Photoshopのカラーパレット。
フクロウが赤い警告マークを示した。
「これは、“RGBでは選べるけど、CMYKでは再現できない色”を示している。
特に、蛍光ピンク、緑、ライムグリーン、青紫は、CMYK印刷では彩度が大きく落ちる。」
リョウが不満そうに言う。
「でも……じゃあ、画面で見て気に入った色を、印刷したらがっかりするってこと?」
「そうだ。だから、プロのデザイナーは**“ガモットマッピング”**を行い、
“どの色を落として、どの色を優先するか”を選ぶ。
“レンダリングインテント”という設定だ。」
南条が補足する。
「たとえば、“Perceptual”では、全体の色バランスを維持するために、すべての色が少しずつくすむ。
一方、“Relative colorimetric”は、再現できる色はそのまま、ガモット外の色だけを調整する。」
【4】それでも色を印刷したい理由
フクロウが静かに語った。
「それでも我々は、“色を紙に残そう”とする。
なぜなら、紙の色には“物質としての現実感”があるからだ。」
南条が頷いた。
「画面の色は“光”だ。紙の色は“触れることができる記憶”だ。
君たちは、どちらを“本物の色”と呼ぶだろう?」
講堂が沈黙する。
やがてミナが言った。
「……どっちも好き。でも、紙の色の方が、なんか、あたたかい。」
フクロウは微笑んだように言った。
「そう。色とは、再現できる情報ではなく、“感じられる体験”そのものなんだ。」