第177章 《カメラと眼球の分かれ道》
講堂の片隅で、リョウは埃をかぶった古いデジタルカメラを磨いていた。
黒く、ずっしりとしたボディ。液晶画面は割れていたが、レンズはまだ生きているように見えた。
「先生、これ……動くかな?」
南条がカメラを手に取る。
「懐かしいな。EOS 5D Mark II。僕が現役だった頃のカメラだ。」
フクロウが反応した。
「面白い題材だ。今日は、“カメラと人間の眼は同じなのか”という問いで進めよう。」
ミナが首をかしげた。
「どっちも“光をとらえて像を作る”んだから、似てるんじゃないの?」
「構造は似ている。だが、本質はまったく違う。」フクロウが答えた。
第一項:構造の比較
壁に、眼球とカメラの断面図が並べて映し出される。
•眼球:角膜 → 水晶体 → 硝子体 → 網膜(錐体・桿体)
•カメラ:レンズ群 → CMOSセンサー → 画像処理回路
「人間の眼もカメラも、光を屈折させて平面上に像を結ぶ点では同じ。
だが――」
フクロウは網膜の構造を拡大した。
「網膜には1億を超える受容器があり、その多くが“桿体細胞”(明暗専用)だ。
色を感じる“錐体細胞”はわずか600万。しかも、黄斑部=中心視野に偏っている。」
「え、じゃあ人間の目って、全体は“モノクロ”ってこと?」ケイが驚いた。
「そう。周辺視野の大部分は“解像度が低く、色もほとんど感じない”。
私たちは“中心視野のわずか2度”を超高解像度で見ているにすぎない。」
第二項:処理の違い
フクロウはスライドを切り替えた。今度は、カメラのセンサー構造。
•CMOSセンサーは、全領域を均一にピクセル単位で受光し、ベイヤー配列でRGB情報を取得する。
•人間の眼は、中心しか詳細に受け取れず、しかも常に揺れ動いている。
「サッカード運動という、毎秒3〜4回の視線ジャンプがなければ、我々は“視界を固定できない”。
しかも、脳はその跳躍の“空白”を自動補完している。」
ミナが言った。
「それって、映画の“コマ落とし”みたいな?」
「近い。」南条がうなずいた。
「我々は“断片的にしか見ていない”のに、連続した世界を“見えている”と錯覚している。
カメラは“あるがままを写す”が、目は“意味のあるものしか写さない”。」
第三項:視覚と意味の生成
「君たちが“見ている”と思っているものの中には、“記憶”“予測”“注意”が含まれている。」
フクロウの声が少し低くなる。
「たとえば、教室の時計の数字を、すべて意識して見たことがあるか?」
誰も手を挙げなかった。
「脳は、“必要のない情報”を最初から捨てている。カメラはすべての光を記録するが、目は“選択された現実”しか映さない。」
リョウがぽつりとつぶやく。
「じゃあ……僕が見てる世界って、本当は“僕の都合で作られてる”のかも。」
南条が静かに答える。
「その通り。見るということは、“解釈する”ということだ。
カメラが真実を写すなら、眼は物語を編む。」
講堂に、フクロウが昔撮影したという風景写真が表示された。
山間に沈む夕陽、銀の川面、赤く燃える雲。
「これは、物理的には“画像”にすぎない。
でも、“君の眼”で見たなら、その色は“物語”に変わる。」
リョウはそっと、自分の目に手を当てた。