第176章 《単色光の正体》
講堂の床に、3台の異なる光源が設置されていた。
一台は白熱灯、もう一台は市販のLEDランプ、そして最後は金属ケースに収まった小さなレーザー光源。
フクロウがゆっくりと話し出す。
「今日は、“単色光”について体験する。
つまり、“たったひとつの波長しか持たない光”の正体だ。」
リョウが目を輝かせた。
「じゃあ……本物の“緑”が見られるの?」
「それはどうかな。」南条が意味深に笑う。「本物の緑ってなんだ?」
フクロウが壁にグラフを投影した。
横軸は波長、縦軸は光の強さ。
最初に表示されたのは、白熱灯のスペクトルだった。
「これは、連続スペクトル。波長400nmから800nmまで、なだらかにすべての色を含んでいる。」
「つまり、これが“全部混ざった光”なんだね。」ミナが言った。
「そう。次はLEDだ。」
画面が切り替わり、3つの鋭いピークが現れる。
青、緑、赤。それぞれに狭い波長帯の山があった。
「市販のRGB LEDは、これら3色の組み合わせで“白”を作っている。だが、この“白”は、太陽の白とはまったく違う。
それでも我々は“同じ白”だと知覚してしまう。」
ケイが口を挟んだ。
「でも、それってさ、結局“見た目が同じならいいじゃん”って話でしょ?」
フクロウはしばらく沈黙し、最後のグラフを表示した。
そこには、ひときわ鋭く尖ったピークが1本だけ――532nm、緑の波長だった。
「これは、単色レーザーのスペクトル。
フル幅半値(FWHM)は約0.01nm。 つまり、完全に“ひとつの波長だけ”が存在している。」
講堂を暗くし、フクロウがレーザーを壁に向けて照射した。
細い緑の線が空間を貫く。
「これが“理論的に最も純粋な緑”だ。
君たちは、LEDの緑とこれとを、見分けられるだろうか?」
ミナが見比べた。
「……あんまり変わらないような……レーザーの方が、ちょっと鋭い?」
「見た目では、ほとんど区別できないかもしれない。
だが、分光器で見ると、LEDは幅の広い丘、レーザーは極細の刃だ。」
南条が補足した。
「この違いは、光の“性格”に影響する。
単色光には、時間的・空間的コヒーレンスがある。つまり、波が揃っている。
だから、干渉や回折が起こりやすい。これがホログラムの原理にもなる。」
フクロウが干渉縞の映像を見せた。
レーザー光を2つに分けて再合成すると、しま模様が現れる。
「この“しま模様”は、波の山と山、谷と谷が一致した部分で光が強くなる現象。
この干渉性は、単色性が高いほど鮮明に出る。
逆に、LEDや太陽光ではスペクトルが広いため、干渉はぼやける。」
リョウが呟いた。
「見た目じゃ分かんないのに、性格が全然違うんだ……」
「そう。」フクロウが答える。「光は“見えるもの”でありながら、目に映らない構造を持っている。
単色光とは、その“構造の純度”が極限まで高まった状態なんだ。」
ミナが、さっき見た緑の絵を思い出したように言った。
「でもさ、私たちが“緑”と感じるのって、いろんな緑が混ざってることもあるよね?
森の緑、海藻の緑、信号機の緑――それぞれ違うのに、“緑”って呼んじゃう。」
南条がうなずく。
「それこそが、知覚の柔軟さと限界だ。
人間の脳は、無数のスペクトルを“概念”に還元する。
だからこそ、“緑”と一口に言っても、実はそれぞれに違うスペクトルを持っている。」
フクロウが締めくくった。
「単色光は、“世界の最も単純な光”だ。
だが、君たちが“緑”と感じるその心には、混ざり合った経験、記憶、文脈が折り重なっている。」
講堂に再び光が戻る。
レーザーの緑は、もう消えていた。