第175章《色を混ぜるという錯覚》
講堂の中央に、一枚の白いテーブルが置かれていた。
その上には、チューブ入りの絵の具と、懐中電灯のような機材が3本。赤・緑・青のラベルが貼られている。
フクロウが告げた。
「今日は“混ぜる”をやってみよう。」
ミナが色のついた光を白壁に向けると、緑の光の円ができた。
ケイが赤を当てて、その円と重ねると――中央が黄色になった。
「わっ! 緑と赤を混ぜたら黄色になった!」
リョウが驚いた顔をする。
「嘘だ、絵の具なら茶色になるのに。」
「そのとおり。」フクロウは穏やかに言った。「これは加法混色と減法混色の違いだ。
光を混ぜれば“明るく”なる。絵の具を混ぜれば“暗く”なる。君たちは今日、その意味を体で理解する。」
南条が手元の絵の具をテーブルに広げた。
ミナが、青と黄を混ぜた。
「……緑?」
「でも、光では青と黄を混ぜても白っぽくなるよね?」ケイが言った。
フクロウが反応した。
「よく覚えていた。光の“青と黄”は、スペクトルの両端に近く、混ぜると補色関係になる。
その結果、波長成分が均等化され、白っぽい光になる。」
壁にスペクトル分布のグラフが表示される。
RGB:三つの鋭い波長ピーク
CMY:広い吸収帯と残りの反射光
「絵の具では、光を吸収する物質を混ぜている。青は赤〜黄を吸収し、黄は青を吸収する。重なると、赤と緑が残る=“くすんだオレンジ”になる。これは“減法”だ。」
リョウが聞く。
「じゃあ、混ぜるって、実は“混ぜてない”ってこと?」
「面白い発想だ。」南条が微笑む。「君は、“加える”と思って混ぜてるが、実は“削って”いる。色を“引き算”して残ったものを見ているだけだ。」
フクロウがスライドを切り替えた。
「脳は、入ってきた光の波長を**“それぞれの錐体細胞がどれだけ反応したか”**で処理している。
つまり、脳は“結果”しか知らない。
光の原因が何であれ、“S錐体が10%、M錐体が50%、L錐体が80%”という数字から“この色だ”と判断する。」
ケイが黙っていた懐中電灯の青と緑を重ね、壁にシアンの光を作った。
「先生、じゃあ脳って、騙されてるの?」
「“騙す”というより、“必要最低限で判断している”といった方が近い。」フクロウは答えた。
「我々の脳は、限られた光情報を圧縮して、“意味”に変換している。
だから、たとえ光源のスペクトルが違っていても、“似たような三刺激”なら、同じ色として処理される。
これが“メタメリズム”。そして、混色の錯覚の正体でもある。」
講堂の照明が落とされ、プロジェクターが古い油絵を映し出した。
青と黄で塗られた葉が、緑に見える。
「この“緑”も、実は緑色の絵の具ではない。」南条が語る。「人間の脳が、“青と黄の並び”から、“緑っぽい色域”を作っているだけだ。」
ミナが小さく笑った。
「つまり、“混ぜた”んじゃなくて、“そう見えるように脳が作ってる”だけってことか。」
「そう。」フクロウが静かに言った。
「混色とは、光の現象ではなく、脳の想像力の成果だ。
“色が混ざる”という感覚自体が、知覚の錯覚に支えられている。」
リョウがテーブルの上の青と赤の絵の具を混ぜた。
紫のような、にぶい色。
「じゃあこれも、本当の“紫”じゃないんだね。」
フクロウが頷いた。
「紫は、**スペクトル上には存在しない“非スペクトル色”**だ。
青と赤の両端の刺激が同時に起こったときにだけ、“紫”と感じる。
つまり、紫は“波長”ではなく、“脳内の合成”でしか生まれない色だ。」
講堂が静まり返った。
子どもたちの目の中で、混ざった絵の具と、混ざった光と、混ざらない波長とが、せめぎ合っていた。
「だからこそ――」南条が締めくくった。
「“色を混ぜる”という行為は、脳にしかできない。
物質でも光でもない、“脳の中の化学反応”なんだよ。」