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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2017/2200

第173章 《消えた絵の記憶》


講堂の中央に設置された長机の上には、古びた画集が一冊置かれていた。ページの端は焼けたように茶色く、印刷の色もどこか褪せている。少年リョウがその本を撫でながら、ぽつりとつぶやいた。


「……この絵、本当はもっと緑が深かったはずなんだ。」


AI教師フクロウのホログラムが、そのつぶやきを拾った。

「どんな緑だったのか、覚えているか?」


「覚えてる……はずなんだけど、思い出そうとすると頭の奥がモヤモヤして、違う緑が浮かんできちゃう。」

リョウは眉をひそめ、両手でこめかみを押さえた。


フクロウは周囲の子どもたちに向かって言った。

「みんなも同じ経験があるはずだ。色を“思い出そう”としても、記憶の中の色は変質する。今日はそれを実験してみよう。」


照明が落ち、壁のスクリーンに鮮やかな緑色の長方形が映し出された。

「この緑を10秒間見て、目を閉じてみて。」


子どもたちは一斉に目を閉じる。

「さあ、頭の中でその緑を描いてみて。」


やがてフクロウが問うた。

「どんな色になっている?」


「少し青っぽくなった。」

「黄色に近づいた感じがする。」

「消えちゃった。」


子どもたちの答えはばらばらだった。


「これが視覚記憶の再構成だ。」フクロウは説明した。「網膜で受け取った光情報は、視覚野V1、V2、V4など複数の領域で処理され、色の情報は主にV4が担う。しかし記憶として保持されるとき、海馬や前頭葉と結びつく過程で“書き換え”が起こる。」


南条が補足するように前に出た。


「つまり、君たちが覚えている色は、現実そのものではなく、脳が再構成したイメージなんだ。まるで写真データをJPEGで何度も保存し直すと劣化するように。」


リョウは困惑した表情で画集を見つめた。

「じゃあ、僕の中の緑はもう消えちゃったの?」


「消えてはいない。」南条は静かに言った。「**変化しただけだ。**君の記憶の中で、その緑は別の意味を持ち始めている。」


フクロウが手を振ると、壁にCIE 1931色度図の馬蹄形が投影された。

「たとえば、ここにある“緑”は物理的には波長520nm付近の光だ。しかし、同じ520nmでも照明の色温度や周辺色によって見え方が変わる。脳はそのときの“文脈”を添えて色を記憶する。」


ミナが手を挙げた。


「じゃあ、私が覚えている“青い海”も、実際には青じゃなかったかもしれないの?」


「その可能性はある。」フクロウは頷いた。「海のスペクトルは青緑から深い紺色まで変動するし、大気や日光の角度によって散乱光の波長分布が変わる。君の脳が“青”として記憶したのは、その瞬間の光の条件と感情が結びついた結果だ。」


リョウは画集を閉じ、しばらく黙っていた。

やがて小さな声でつぶやいた。


「じゃあ……僕が覚えてる“緑”は、僕だけの緑なんだね。」


フクロウのホログラムが微笑むように光った。

「そうだ。**色は世界にあるのではなく、君の中にある。**そしてその記憶は、世界の“真実”よりも、君が世界に与えた意味を映している。」


講堂の隅に置かれた古い額縁が、淡い光を反射していた。

子どもたちはしばらく無言で、その光景を見つめていた。

緑か青かもわからない、褪せた色の中に、それぞれの“記憶の色”を重ねるように。


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