第171章 時間のスケール ― 永遠と瞬間のあいだ
夕暮れ。
寺子屋の障子越しに、橙色の光が差し込んでいた。
Ω教授は窓際に立ち、沈む太陽を指さした。
「さて、今日は“時間”の話をしよう。
この太陽を見ている今――君たちは、“過去の光”を見ている。」
教室がざわめく。
「太陽の光がここに届くまで、約8分19秒。
つまり君たちが“今”と呼んでいるものは、すでに過ぎ去った瞬間だ。」
Ⅰ. 相対時間 ― アインシュタインの時計
教授は黒板に二つの線を描いた。
一方には「地球上の観測者」、もう一方には「光速に近い宇宙船」。
その間に「Δt(時間のずれ)」と書く。
「アインシュタインは言った。
“時間は、観測者の速度によって変わる”。
もし君たちが光速の99%で動く宇宙船に乗ったら、
地上の10年が、君たちにはわずか数分に感じられるだろう。」
生徒が手を挙げる。
「先生、それってつまり……“永遠”って相対的なんですか?」
教授は頷いた。
「そう。永遠は“時間を測る存在”がいる限り、比較としてしか存在しない。
宇宙のスケールにおいて、“今”という言葉はきわめて人間的なんだ。」
Ⅱ. 時間の持続 ― ベルクソンの流れ
教授はノートを閉じ、手を組んで語り出す。
「哲学者アンリ・ベルクソンは、“時間を空間のように分割してはいけない”と考えた。
彼にとっての時間――それは“流れる意識”そのものだ。」
黒板に再び書かれる。
> 物理の時間:区切られた点の連なり
> 意識の時間:途切れぬ流れ(持続 la durée)
「ベルクソンのいう“持続”とは、
心の中で過去と現在が連続している感覚だ。
それは時計では測れない時間――
“音楽の旋律”のように、流れる全体でしか感じられない。」
教授はピアノの横に歩み寄る。
先ほどの生徒が再び鍵盤を叩いた。
一つひとつの音は離れている。
だが、人はそれを“メロディー”として聴く。
「時間とは、音と音のあいだを意味として繋ぐ力だ。
それが意識の本質であり、知性のリズムなんだ。」
Ⅲ. 刹那 ― 仏教が見た時間の粒子
外の光が薄れ、教室に静けさが戻る。
教授は蝋燭に火を灯した。
小さな炎が揺れ、その影が壁を流れる。
「仏教では、“一刹那”を10のマイナス43秒――
プランク時間よりも短い“存在と消滅の単位”と捉える伝統もある。」
生徒たちは目を丸くする。
「つまり、宇宙も意識も、
“連続ではなく断続”の連鎖として存在している可能性がある。
生まれては消える“刹那”の連なり――
それが、我々が“生きている”と感じる現象かもしれない。」
教授はゆっくりと、蝋燭の火に息を吹きかけた。
炎がゆらめき、一瞬だけ明るくなり、静かに消えた。
「――永遠とは、この一瞬の中にしか存在しない。」
Ⅳ. 永遠と瞬間の交差点
講義の最後、教授は板書をまとめた。
> 時間の三つの顔:
> ① 物理の時間(相対性)
> ② 意識の時間(持続)
> ③ 存在の時間(刹那)
「この三つは、互いに矛盾しているようで、実は補い合っている。
“観測者”が存在する限り、時間は多層的なんだ。」
生徒の一人が呟いた。
「……じゃあ先生、時間の外側に行くことはできますか?」
教授は笑った。
「誰も、“時間を観測しない”状態にはなれない。
だが――音楽の最中に“時間を忘れる”瞬間があるだろう?
あれが、知性がスケールを超えるほんの一瞬の跳躍なんだ。」
外に出ると、夜の帳が下りていた。
西の空に一番星が光る。
その光は、数十年、あるいは百年前の過去から届いたもの。
だが、生徒たちはその星を**“今”**として見ていた。
永遠と瞬間が、ほんの束の間、重なり合う――。