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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2014/2172

第170章 芸術とスケール感覚



 朝霧が晴れ、山裾の寺子屋の屋根が光を受けた。

 小鳥の声、木々のざわめき、遠くから聞こえる川の音。

 すべてが“調和”している。

 Ω教授は、その音をしばらく黙って聴いていた。


 「今日のテーマは――芸術だ。」

 板書する手が止まる。

 チョークで書かれた文字は、やや斜めに傾いていた。

 > 『芸術=有限の中に無限を映す行為』


 生徒たちは顔を見合わせた。

 科学、哲学、情報論――ここまで扱ってきた講義に比べて、

 あまりに“柔らかい”題だったからだ。


Ⅰ. 宇宙を奏でる実験


 教授は机の上の小さな電子ピアノを指さした。

 「このピアノは、周波数を自由に設定できる。

  今日は“宇宙の音”を鳴らしてみよう。」


 生徒のひとり――音楽専攻だった少女が前に出た。

 彼女はデータ端末を開き、星々のスペクトル波長をピアノ音階に変換していく。


 ――シリウスの青白い光、太陽の可視スペクトル、

  木星の電磁波ノイズ、そして宇宙背景放射の残響。


 それらを周波数に変換し、鍵盤を押す。


 最初の音が響いた瞬間、

 講堂の空気がわずかに震えた。

 低く、深く、底なしの響き。

 まるで“宇宙そのもの”が息をしているようだった。


 教授は目を閉じて言った。

 「――聞こえるかい?

  これは、137億年前の“光の名残”だ。

  音に変えることで、ようやく私たちはそれを“感じる”ことができる。」


Ⅱ. 感性のスケール変換


 教授は板書を続けた。


 > 理性:無限を解析する力

 > 感性:無限を感じ取る力


 「理性は、無限を“測る”ことはできる。

  しかし、感性は無限を“生きる”ことができる。」


 生徒のひとりが手を挙げた。

 「でも先生、感じるって、あまりにも主観的じゃないですか?

  科学的じゃない。」


 Ω教授は頷きながら微笑んだ。

 「主観こそ、人間が宇宙と繋がる“最後の窓”なんだよ。

  感性は、スケールを測るのではなく、“越境”する。

  そして、越えたときに私たちは“美”と呼ぶ感覚を得る。」


 彼はチョークで、黒板に円を描いた。


 > 有限の円のふち=無限が触れる場所


 「芸術とは、この“縁”に触れようとする行為なんだ。」


Ⅲ. 美とは知性の呼吸


 再びピアノの音が鳴った。

 今度は、銀河の回転速度を基にしたテンポ設定だった。

 ゆっくりとしたワルツのような旋律。

 だが、拍子は完全には安定せず、時折“ずれる”。


 教授は小さくつぶやいた。

 「ズレている……それがいい。」


 生徒が笑う。

 「失敗じゃないんですか?」

 「いや、“完全”には息ができない。

  それこそが生命であり、芸術なんだ。

  美とは、秩序と混沌の呼吸のようなものだよ。」


 静寂の中、ピアノの音が次第に弱まっていく。

 最後の音が消えると、教室の外から風が吹き込んだ。

 竹林がざわめき、鳥が一羽、屋根の上を横切った。


Ⅳ. 講義の終わり ― 感性の残響


 教授は黒板を見つめ、最後の言葉を書いた。


 > 「芸術とは、有限の存在が無限を想うときに生まれる光」


 そして静かにチョークを置く。

 「だからこそ、芸術は知性の“補助輪”じゃない。

  むしろ知性が自分の限界を知るための鏡なんだ。」


 生徒たちは誰も言葉を発しなかった。

 ただ、風と光と音が交わるその瞬間を、

 ひとりひとりが“自分のスケール”で感じていた。


 教授はその沈黙を見届けて、

 小さく呟いた。


 「――この静けさの中に、すべての知性が還っていく。」


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