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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2008/2187

第164章 スケールの盲目 ― すべてが同じ画面である



 朝の光が講堂の木の床を照らしていた。

 昨夜の雨の名残が、窓の外でまだしっとりと光っている。

 Ω教授は古いタブレット端末を取り出し、黒板の前の机に置いた。


 画面には、銀河系の写真。

 渦を巻く星々、無数の光点。

 指先でスワイプすると、次に映るのは――避難所で笑う小さな子ども。


 「これを見て、どちらが“大きい”と思いますか?」

 教授は穏やかに尋ねた。


 生徒たちはしばらく黙ってから、ひとりの少年が答える。

 「……銀河のほうが、大きいです。でも……写真では、同じ大きさに見えます。」


 教授はうなずいた。

 「そう。これが“スケールの盲目”です。」


1. 画面がすべてを均質化する


 Ω教授はタブレットを掲げ、指で画面をなぞった。

 「現代の人々は、銀河も戦争も食事も、すべてを“同じ窓”の中で見ていた。

  大きさの違いも、時間の重さも、画面の解像度で平準化された。

  結果――“畏怖”という感情が、失われていったのです。」


 生徒たちは無言のまま、スクリーンを見つめる。

 「たとえばニュースで“100万人が亡くなった”と表示されても、

  人は画面をスワイプして、次の“かわいい猫動画”に進む。

  それは、銀河と同じ。――世界のスケールを失うという麻痺です。」


 黒板にチョークが走る。


 「スケールの盲目=あらゆる現象を“同じ距離”で見ること」


2. 畏怖の喪失と知性の軽量化


 教授は教壇に腰を下ろし、少し遠くを見るように言葉を続けた。


 「昔の人は、雷や星を“神”と呼びました。

  それは、理解できないほど大きな力に対する“畏怖”でした。

  けれど今の文明は、あらゆるものを“情報”に変換してしまった。

  ――理解できないものは、存在しないことにされた。」


 彼はチョークを置き、静かに言った。

 「知性とは、本来、“わからないもの”に膝を折る能力なんです。

  だが今の人間は、すべてを把握できる気になっている。

  スケールを失った知性は、やがて“軽く”なる。

  軽くなる知性は、風に飛ばされる紙のように、世界に根を持てなくなる。」


3. 比例の消えた宇宙


 教授は黒板に、円と点を描いた。


 「昔の哲学者は、“比例”という言葉を重んじました。

  それは、部分と全体、個と宇宙の間にある“見えない秩序”のこと。

  音楽の和音も、人体の比も、星の運行も、みな比例でつながっていた。

  ――しかし、スケールを見失った現代人には、その比例が感じられない。」


 彼は黒板にこう書き加える。


 「比例=世界との調和の感覚」

 「スケール盲目=調和の喪失」


 「比例を失った文明は、自分の声だけを正しいと思うようになる。

  世界は反響室となり、“他者”も“宇宙”も、自分の反射音に変わるのです。」


4. 少女の問い:「先生、スケールを取り戻すには?」


 沈黙ののち、前列の少女が手を挙げた。

 「……先生、スケールを取り戻すにはどうすればいいんですか?」


 Ω教授はしばらく目を閉じて考えた。

 そして、ゆっくり答えた。


 「まず、“小さなもの”を丁寧に見ることです。

  たとえば――蟻の一歩、露の揺らぎ、呼吸の音。

  その微細な世界に“宇宙”を感じられたら、

  あなたはもうスケールを回復している。」


 生徒たちは顔を見合わせた。

 教授は微笑みながら、手元のチョークで最後の一文を書いた。


 「畏怖とは、スケールの回復装置である。」


5. 空と小石


 講義の終わり、Ω教授は外に出た。

 空はすでに晴れ、山々の稜線の向こうに雲が漂っている。

 教授は足元の小石を拾い、生徒たちに見せた。


 「見なさい。この小石の中にも、銀河がある。

  原子の構造、時間の痕跡、偶然と秩序――すべてがここに詰まっている。

  人間がスケールを失うとは、小石の中の宇宙を見落とすことです。」


 その言葉に、生徒たちは空を見上げた。

 蒼穹の奥で、星がまだかすかに光を残していた。

 教授は静かに呟く。


 「画面の向こうの宇宙ではなく、いまここにある宇宙を見なさい。

  知性は、見上げることではなく、“見直す”ことから始まるのです。」


 風が木々の間を渡り、朝の寺子屋を通り抜けた。

 光の粒が床に落ちるたび、生徒たちはその輝きを目で追った。

 それはまるで、スケールの感覚を取り戻す最初の練習のようだった。


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