第164章 スケールの盲目 ― すべてが同じ画面である
朝の光が講堂の木の床を照らしていた。
昨夜の雨の名残が、窓の外でまだしっとりと光っている。
Ω教授は古いタブレット端末を取り出し、黒板の前の机に置いた。
画面には、銀河系の写真。
渦を巻く星々、無数の光点。
指先でスワイプすると、次に映るのは――避難所で笑う小さな子ども。
「これを見て、どちらが“大きい”と思いますか?」
教授は穏やかに尋ねた。
生徒たちはしばらく黙ってから、ひとりの少年が答える。
「……銀河のほうが、大きいです。でも……写真では、同じ大きさに見えます。」
教授はうなずいた。
「そう。これが“スケールの盲目”です。」
1. 画面がすべてを均質化する
Ω教授はタブレットを掲げ、指で画面をなぞった。
「現代の人々は、銀河も戦争も食事も、すべてを“同じ窓”の中で見ていた。
大きさの違いも、時間の重さも、画面の解像度で平準化された。
結果――“畏怖”という感情が、失われていったのです。」
生徒たちは無言のまま、スクリーンを見つめる。
「たとえばニュースで“100万人が亡くなった”と表示されても、
人は画面をスワイプして、次の“かわいい猫動画”に進む。
それは、銀河と同じ。――世界のスケールを失うという麻痺です。」
黒板にチョークが走る。
「スケールの盲目=あらゆる現象を“同じ距離”で見ること」
2. 畏怖の喪失と知性の軽量化
教授は教壇に腰を下ろし、少し遠くを見るように言葉を続けた。
「昔の人は、雷や星を“神”と呼びました。
それは、理解できないほど大きな力に対する“畏怖”でした。
けれど今の文明は、あらゆるものを“情報”に変換してしまった。
――理解できないものは、存在しないことにされた。」
彼はチョークを置き、静かに言った。
「知性とは、本来、“わからないもの”に膝を折る能力なんです。
だが今の人間は、すべてを把握できる気になっている。
スケールを失った知性は、やがて“軽く”なる。
軽くなる知性は、風に飛ばされる紙のように、世界に根を持てなくなる。」
3. 比例の消えた宇宙
教授は黒板に、円と点を描いた。
「昔の哲学者は、“比例”という言葉を重んじました。
それは、部分と全体、個と宇宙の間にある“見えない秩序”のこと。
音楽の和音も、人体の比も、星の運行も、みな比例でつながっていた。
――しかし、スケールを見失った現代人には、その比例が感じられない。」
彼は黒板にこう書き加える。
「比例=世界との調和の感覚」
「スケール盲目=調和の喪失」
「比例を失った文明は、自分の声だけを正しいと思うようになる。
世界は反響室となり、“他者”も“宇宙”も、自分の反射音に変わるのです。」
4. 少女の問い:「先生、スケールを取り戻すには?」
沈黙ののち、前列の少女が手を挙げた。
「……先生、スケールを取り戻すにはどうすればいいんですか?」
Ω教授はしばらく目を閉じて考えた。
そして、ゆっくり答えた。
「まず、“小さなもの”を丁寧に見ることです。
たとえば――蟻の一歩、露の揺らぎ、呼吸の音。
その微細な世界に“宇宙”を感じられたら、
あなたはもうスケールを回復している。」
生徒たちは顔を見合わせた。
教授は微笑みながら、手元のチョークで最後の一文を書いた。
「畏怖とは、スケールの回復装置である。」
5. 空と小石
講義の終わり、Ω教授は外に出た。
空はすでに晴れ、山々の稜線の向こうに雲が漂っている。
教授は足元の小石を拾い、生徒たちに見せた。
「見なさい。この小石の中にも、銀河がある。
原子の構造、時間の痕跡、偶然と秩序――すべてがここに詰まっている。
人間がスケールを失うとは、小石の中の宇宙を見落とすことです。」
その言葉に、生徒たちは空を見上げた。
蒼穹の奥で、星がまだかすかに光を残していた。
教授は静かに呟く。
「画面の向こうの宇宙ではなく、いまここにある宇宙を見なさい。
知性は、見上げることではなく、“見直す”ことから始まるのです。」
風が木々の間を渡り、朝の寺子屋を通り抜けた。
光の粒が床に落ちるたび、生徒たちはその輝きを目で追った。
それはまるで、スケールの感覚を取り戻す最初の練習のようだった。