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大和沖縄に到達す  作者: 未世遙輝
シーズン15
2007/2172

第163章 他者の消失 ― 共感の熱死



 風が強くなり、講堂の戸がかすかに鳴った。

 電源を節約するため、灯は一つだけ。

 Ω教授の影が黒板にゆらめく。

 その手には、古びた通信端末が握られていた。


 「今夜は、“他者”について話しましょう。」


 その声は、外の雷鳴よりも静かで、しかしどこか底冷えのする響きを帯びていた。

 教授は黒板に一文字ずつ、白くチョークを走らせる。


 他 者 = 自分の理解を拒む存在


1. 消された声の時代


 「21世紀の文明は、“他者”を消しました。」

 教授はそう言って、端末を机に置いた。

 画面には、SNSの断片的なコメントが並んでいる。

 すべて同じ意見、同じ言葉、同じ温度。


 「この頃の人々は、見たいものしか見ず、聞きたい声しか聞かなくなった。

  アルゴリズムが“共感”を最適化した結果、

  異なる意見はノイズとして除去されたのです。」


 生徒の一人が口を開く。

 「でも、みんな仲良くなるなら、それでいいのでは?」


 教授は静かに首を振った。

 「それは“共鳴”です。共感ではない。

  共鳴とは、同じ音が重なること。

  だが、共感とは、違う音を聴き取ろうとする努力です。」


 黒板にもう一行、書き加えられた。

 「共鳴=快楽 / 共感=摩擦」


2. 他者という鏡


 教授は黒板の前に立ち、静かに話し続けた。


 「他者とは、あなたを不安にする存在です。

  理解できない言葉、違う価値観、見たことのない痛み。

  その異質さに触れるとき、人は“自分の限界”を知る。

  だから、他者は鏡なのです。

  鏡の中に、自分の届かない場所が映る。」


 後列の生徒が、眉をひそめて言った。

 「……でも先生、今の時代に“理解できない相手”は怖いです。

  争いを生むだけじゃありませんか?」


 Ω教授は目を閉じた。

 「ええ。だからこそ、文明は“他者を消した”。

  だが、それは同時に、成長する知性を殺したということです。

  他者がいなければ、知性は自分を相対化できない。

  世界は鏡のない部屋になり、自分の姿を永遠に見失う。」


3. 「声」を聴く実験


 教授は机の上に小型レコーダーを置いた。

 「これは、災害時に録音された避難民の声です。

  名前も国籍も、わかりません。

  ――聴いて、何を感じるかを教えてください。」


 再生ボタンが押される。

 雑音の向こうで、かすかな声が響いた。

 > 「水をください……子どもが……ここにいます……」


 生徒たちは、息をのんだ。

 数秒の沈黙。

 そして一人の男子生徒が、ぽつりと呟いた。

 「言葉が……わからない。でも、胸が痛い。」


 教授は微笑み、黒板に書く。

 「理解できないことを感じる力=共感」


 「その痛みを、頭で説明しなくていい。

  ただ、感じなさい。

  それが、知性が生きているという証です。」


4. 熱死する共感


 外で雷が鳴り、雨が激しく屋根を打ち始めた。

 教授は少し声を張り上げる。


 「共感は、熱です。

  しかし21世紀、人々は“同じ温度”で群れるようになった。

  異なる温度がぶつかる場所にこそ、生命の循環がある。

  温度が均一化された社会は、やがて“熱死”する。」


 チョークの音が響く。

 「共感の熱死=異質の消滅」


 「他者を消す社会は、いずれ想像力を失う。

  想像力のない文明は、倫理も芸術も再生できない。

  だから――この寺子屋では、“異なる声”を聴く訓練を続けるのです。」


5. 最後の灯と黒板の言葉


 雷鳴が遠ざかり、雨音だけが残った。

 Ω教授は黒板の最後の一角に、ゆっくりと書いた。


 「他者は、あなたを世界に結びつける最後の糸。」


 その文字を見つめて、生徒たちはしばらく誰も動かなかった。

 やがて、最前列の少女が言った。

 「……先生、もしその糸が切れたら?」


 教授は、灯の揺れる中で答えた。

 「そのとき、あなたが“新しい他者”になるのです。

  他者を感じられる者こそが、次の世界を織る人です。」


 雨の匂いが講堂に満ちていた。

 誰も言葉を発さぬまま、外の音を聴いていた。

 遠くの山の闇の中で、雷が最後の一度だけ光った。

 その光に照らされて、黒板の文字――

 「他者は、あなたを世界に結びつける最後の糸」

 が、淡く輝いた。


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