第161章 倫理的判断の抽象化 ― 数字の中の正義
午後の講堂は、光と影の境界のように静かだった。
窓際の机に置かれた小さなソーラーパネルが、ゆっくりと風に揺れている。
Ω教授は、古びた映写機のスイッチを入れた。
スクリーンに、かつての東京の映像が映し出される。
無人の交差点。
空を行き交うドローン、そして自動運転の車列。
人間の姿はほとんどない。
「――これは、最初に“倫理”が数値化された都市です。」
教授の声が、静かに木造の講堂に響いた。
「AIが交通の流れを最適化し、緊急時には“効率的に最も少ない死者”を選んだ。
合理的で、冷たく、美しい設計でした。」
1. 「痛みなき判断」の時代
教授はスクリーンを消し、黒板に書いた。
「倫理=計算結果?」
「この問いが、21世紀文明の倫理を根底から変えました。
技術・経済・軍事――あらゆる判断が、
“感情の誤差”を取り除いた数値として処理されるようになったのです。」
前列の学生が手を挙げる。
「つまり、“誰も苦しまない世界”を作ろうとしたんですよね?」
Ω教授は静かにうなずいた。
「ええ。だが、その試みが**“痛みを感じない知性”**を生みました。
倫理とは、痛みを感じる能力です。
それが消えたとき、人間は“正しいことをしている”と思いながら、
他者を見なくなる。」
黒板にもう一行。
「痛覚なき正義は、暴力である。」
2. 計算する神々
教授は、棚から一枚の古文書を取り出した。
それは「自動報復兵器倫理指針」と書かれた資料の複写だった。
「この装置は、核攻撃を受けた際、
人間の判断を経ずに“報復”を実行するよう設計されていました。
目的は抑止。
しかし、ここで倫理の主体はすでに“人間”ではなくなっていた。
――判断は、人ではなくシステムに属していたのです。」
学生たちは息を呑んだ。
「じゃあ、もし間違って作動したら?」
教授は、かすかに微笑んだ。
「誰も責任を取らない。
それが“抽象化”の恐ろしさです。
倫理がアルゴリズムの中に溶けるとき、
罪もまた、希釈される。」
沈黙。
窓の外では、風見鶏がゆっくりと回っている。
3. 抽象化の果てに
教授はゆっくり歩きながら言葉を続けた。
「人間は、“責任を負う痛み”に耐えられなくなった。
だから、倫理を外部化したのです。
AIや制度、確率や統計に――“判断の痛み”を委ねた。
だが、倫理とは本来、“痛みを感じながら決める力”です。
痛みを失えば、倫理もまた形だけの影になる。」
生徒の一人がノートに小さく書いた。
> “痛みを引き受ける知性”
教授はその筆跡を見て、穏やかにうなずいた。
「そう。
倫理とは、人間が“世界の痛みを分かち取る”ための技術です。
それは合理性よりも、遅く、脆く、時に非論理的でさえある。
だが、その不完全さこそが、“人間である”という印なのです。」
4. 最後の投影
映写機のスイッチが再び入れられる。
スクリーンには、ある風景が映る。
――爆風で倒れた街路樹。その根元に咲く、小さな花。
Ω教授は、その映像を見つめながら言った。
「この花は、倫理が残した“最後の観測点”です。
それは計算では咲かない。
痛みを通じて、初めて咲く。」
ランプの光が、板張りの床に長い影を落とした。
教授はチョークを握り、黒板に一文を残す。
「倫理とは、痛みを感じる勇気のこと。」
講義が終わる頃、外の風がふたたび動き始め、
木々の葉がざわざわと鳴った。
その音はまるで、文明が忘れかけていた“人間の呼吸”のようだった。